原義とその変遷とは? わかりやすく解説

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原義とその変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 14:20 UTC 版)

「講」の記事における「原義とその変遷」の解説

平安時代貴族たちのあいだで法華信仰高まり、彼らの出資によって豪華絢爛仏教儀礼である法華八講盛んに行われるようになったこれを契機として世俗のあいだで仏典研究から離れた信仰的な会合である「講」が行われるようになった報恩講など)。この「講」が中世ごろから民間浸透する過程で、様々な信仰集団に「講」という名称がつけられるようになった信仰集団としての講には、地域社会の中から自然発生的に生まれたものと、外部からの導入よるものとがある。 前者の講は、氏神産土といった地域の神を信仰する氏子によって、その神祠維持のために運営されるのである社格の高い神社の講では、「」の範囲超えて広い範囲構成員を持つものもある。「講」の組織強化されるのが、戦国時代のことである。講元国人地侍等があたり、また講元自身地侍化した浄土真宗の「講」の組織によって加賀一向一揆などが行われた。「講」という組織上、半民主的な政治が行われた。講は講社ともいい、講の構成員を講員という。講の運営にあたって講元(こうもと)、副講元世話人などの役員を置き、講員の中から選任され、講の信仰する寺社から委嘱されるのが通常である。一方山の神鎮守神などの土俗的な信仰講では、族縁集団地縁集団そのまま講の構成員となるため、純粋な宗教結社の体を取らない場合もあった。 外部からの導入による講は、当初山岳信仰に関するものであった立山などの修験者霊山への登山勧めて全国廻り各地に「参拝講」が作られた。それにならって各地神社・寺院参拝するための数多くの講も作られるようになった。これらの参拝講では、講の全員参拝に行く「総参り」もあったが、多くは講の中から数人選び代表して参拝する代参講が行われていた。相互扶助団体頼母子講無尽講)への転用は、この代参講から派生したのである。すなわち、皆で金を出しあって参拝に行くのではなく、その金をくじや入札によって構成員融通するというものであるまた、講には信仰のための講と併存する形で「仕事仲間の講」(モヤイ講、ユイ講など)や、「年代別性別の講」(若衆講、カカ講など)など多種多様な講が存在した。これらの講は共同体構成員にとっては加入義務付けられる性格のものだったが、遊び目的とした自由参加の「遊山講」などもあった。

※この「原義とその変遷」の解説は、「講」の解説の一部です。
「原義とその変遷」を含む「講」の記事については、「講」の概要を参照ください。

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