宝暦の伏見騒動とは? わかりやすく解説

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宝暦の伏見騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:41 UTC 版)

圓説」の記事における「宝暦の伏見騒動」の解説

浄土宗木魚打ち念佛する最初の人という。圓説和尚説法勧化拠点行動には一つ方式見て取れる時の人達は、大に尊敬し不退上人と呼ぶ様になり、寺邉の街道を今に不退道(現在の鳥羽街道筋)というようになったという。天の利(理)・地の利(理)・人の利(理)を定めつつ巧みに京・大坂を行き来しつつ念仏勧化務めた。しかし出る杭は打たれるのが世の常佛教界における新運動の動きに“異端批判”が沸き起こった。六群輩より妨難が起こる。宝暦の“伏見騒動”の始まりである。 読経にて木魚を鳴らすこと、甚だ宜しからぬ風儀なり。木魚黄檗山隠元将来したる器にして、明末の法弊より起る具なれば、本宗如き古風を仰ぐ宗門にて、用ゆるべき器にあらず、木魚叩き経を誦し念仏することは、浄土宗不退和尚より始まり大い法論になりしことあり。それゆえ浄土宗にても華頂山禅宗五山妙心寺大徳寺などには決し木魚用いずとある。天台宗総本山園城寺法明院七世 恭堂(敬彦)著 『続山家学則』より」 ◆天台宗重要な位置にある『無量寿経』→ 開経→『法華経』→ 南無妙法蓮華経団扇太鼓唱和には目を瞑り天台宗もまた木魚念佛対し古風を仰ぐ宗門等と本末転倒意見持ち出して異議唱えた圓説上人日本佛教の殆どから異端とされ数々批判を受けることになる。 不退円説勧化説法浄土宗宗義宗風違反し不穏当であるとして浄土宗大坂天満門中黒谷百万門中、さらに伏見門中本山知恩院と共に公儀告訴に及び、本山の決談所公儀の西公事方不退圓説和尚召寄せられた。糺明吟味受けた際の問答とりまとめたものや、これに関する召寄状・受書書翰等の往復文書類の留書所収されており、この事件の顛末を知るこよなき資料となっている。 宝暦元(1751年圓説40歳宝暦年中鳥羽法伝寺に所住した不退圓説という僧の説法勧化原因となって当時伏見騒動」と呼ばれ近在の諸民の耳目そばだてる宗論公事出入発展した近世浄土宗史上稀なる事件の記録法傳寺現存している。 歴史的背景は、いうまでもなく近世宗教法制は、幕藩体制擁護のために制定されたものであり、元和条目寛文諸宗法度みられる通り、とくに異義異安心の類は、厳し統制の下におかれた。これに違反することは、由々しい事態覚悟せねばならなかった。こうした制度にあって不退圓説和尚の提唱は、ひとり浄土宗・京坂門中云う特定の教団社会内部教学論争終始した事件止まらず多数在家諸氏捲きこんだ信仰問題、あるいは慣行的社会習俗拒み公序良俗反すると云う問題であったために、社会的問題として重視された。幕府公儀当初は、単なる宗教的な行動ゆえと見ていたが社会的なその広がり少なからず恐れ感じつつあった。それが現実脅威となったのは京中近郊止まらず大阪にまでその広がり増えたことであった元和元年1615年)に「浄土宗法度元和条目)」に「異安心」が制定されたが、その中には庶民扇動しあるいは宗義曲解して新奇標榜して信徒集め浄土宗僧侶取り締まる条目設けられていた。 『圓説和尚存念』を申すなら、浄土宗吉水正流に基づいて正しく念佛唱え教えて何が悪い、木魚は叩く物、経を唱えて木魚を叩くは禅宗専売でもあるまいに、木魚叩いて念佛唱える事が悪いと言うなら、天台法華太鼓を叩きながらお題目唱える悪いことになる、その道理をつまびやかに説明されよと宣わくも、民衆扇動して騒動巻き起こしたとの解釈押し通した本山公儀ごり押し裁断であった。敵は華頂山本山知恩院幕府にあり、その配下にある寺院もまた佛敵なりと、それを糾す何の心に曇りもない 我が道をゆくのみ・・・ここに捨世派としての行動概念読み取れる。 この伏見騒動顛末は光月庵の『寺史』に曰、 法傳寺所蔵の上人の傳記見ゆとして伏見三十余の本宗寺院が上人の徳を嫉妬し智恩院に訴えたその事専政の弊此非道敢行せりとしたためられている。しかし出る杭は打たれるのが世の常佛教界における新運動の動きに“異端批判”が沸き起こった。六群輩より妨難が起こる。これが宝暦の“伏見騒動”である。 この光月庵の『寺史』を見て如何に知恩院側の言い分言いがかりとしか思えない木魚念佛が自然の妨害となり自他迷惑であると、此が本根であろう裏を返せば越え多く信徒夫々寺門離れて圓説元へと靡いたのである。当然、とくに京市中伏見市中の他の寺院檀信徒離れるのである経営そのもの危うくなり、存続がたち行かなくなる、教義等とは関係の無い、僧の我欲である。幕府圧政の中で安穏日々過ごしてきた既成寺院僧侶達の頭の上突如として新し念佛勧化慈雨天から降って来たのであるが、俗僧達には大雨になったので大慌てふためき手に取る様である。圓説和尚から単なる嫉妬と言われても返す言葉もなかったかであろう。 しかし宗論公事出入近世浄土宗史上稀なる事件元和条目寛文諸宗法度みられる通り得に異義異安心の類は、厳し統制の下におかれたいたので圓説和尚勝ち目無かった

※この「宝暦の伏見騒動」の解説は、「圓説」の解説の一部です。
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