宝暦の勝手造り令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:30 UTC 版)
宝暦年間初期は豊作が続いたため、米価の下落を防ぐためもあって、幕府は宝暦4年(1754年)に元禄時代以来の規制緩和に踏み切り、寒酒のみならず新酒を造ることも許可した。また酒株を持っていなくても、その土地の奉行所や代官所に届出さえ出せば、新規に酒蔵が開けるようにした。これを宝暦の勝手造り令という。これによってしばらくは、酒株制度は良くも悪くも形骸化した制度となっていった。
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