大演習の招待者と見学者とは? わかりやすく解説

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大演習の招待者と見学者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 09:14 UTC 版)

明治天皇駐蹕御趾」の記事における「大演習の招待者と見学者」の解説

演習陪観どのような国からどのような人が招待されていたのかを、当時名古屋中心に発行されていた「金城新報」の記事3月28日)から拾ってみると次のとおりである。 佛国フランス特命全権公使 白耳義国(ベルギー特命全権公使 獨逸国(ドイツ特命全権公使 露国ロシア特命全権公使 清国特命全権公使 澳地利洪牙利国(オーストリア=ハンガリー臨時全権公使 米国アメリカ特命全権公使 葡萄牙国(ポルトガル臨時代理公使 和蘭オランダ)、瑞西スウェーデン)、諾威国(ノルウェー臨時代理公使丁抹デンマーク)[外交官 朝鮮国代理公使 佛国フランス公使館特命大尉 英国イギリス海軍大佐 普国プロイセン参謀少佐 1人で数か国の公使外交官兼任している者もいるが、のべ15か国から公使武官招待した公使らの随員考慮すると、数十人の外国人が大演習陪観日本訪れたことになる。前出金城新報に「大演習拝観人民心得」と題した記事掲載されている。 以下は、その中で特に外国人意識した部分である。 一拝観人たるもの演習中に猥に音声発し又は口笛を吹く等渾て喧擾なる挙動は最も演習上の妨害となるものなれ専ら静粛主として拝観外国人の笑を招かざるよう注意すべし 一拝観人たるもの演習地範囲内馳せ或は山林原野に於て焚き火又は揚煙なす如き極めて演習妨害となるものにして此の如き挙動をなすは最も外国人笑ひを免かれざれば須らく注意要すべし(3月25日) この記事からは多く外国人が大演習拝観訪れ、その眼に日本人行動如何に映るかを政府当局者が大いに気にしていたことと、一般住民多数演習拝観訪れたことが窺える実際多くの人が拝観していた。それを示す記事紹介する汽車半減演習拝観の為静岡県尋常師範学校生徒有余名は関ケ原或いは名古屋赴くべき筈にて鉄道局乗車賃金半額減却の儀を請求したりしが同局にては帰路だけの分を半額減却する事となせり(3月23日観兵生徒注意 学習院学監陸軍]大尉柳生房義氏は同院生徒の来る三十日を以て演習地方へ出発するに先ち観兵者の最も注意すべき要点付き彼の欧州各国に於ける古来より有名な大戦争為した事蹟及び地図等を第三師団管下演習地対照し一々観兵要所指点する由(3月27日生徒拝観 三重県師範学校生徒二十余名は今三十日安濃津港より熱田来り直ち戦地へ拝観として進行する筈なりと(3月30日拝観人の齟齬 昨日東海道桶狭間戦争あるべしとの巷説頻りなりしかば拝観人は頻りに同地方に輻輳し来りたると夥敷幾千万人の拝観者が同地に於て今や今やと待掛けたるに豈計らんや桶狭間には何もなく天白川一戦ありたるも其本軍戦争は其当違ひの八事山にあり砲声遙に鳴海地方に聞へたるにぞ拝観の者は空しく鳴海辺より立去りたるもの多く天白戦争桶狭間辺の拝観人より余程少かりし又た笠寺は右天白川戦争ありしが為め拝観人の入込み頗る多く同地飲食店大概何もかも売切れ思はざる儲口をなしたるもの多し本社特派員帰社しての物語4月3日4番目の記事の「幾千万人の拝観者」は大袈裟過ぎるとしても、記事からは多数の人が演習拝観訪れたことがわかる。特に学校生徒多数拝観訪れていたことは、政府当局筋から演習拝観推奨されていたことすら推測させる。 さらに新聞広告を見ると、大演習もう一つ側面分かってくる。以下にそれを紹介する売子二百募集 此度の大演習付出物の売子二百募集仕候間おのぞみの方は至急来談あれ 下長者町新聞販売舎(3月25日) 大演習戦地々図附名古屋明細図入獨案内大判洋紙両面一枚眞價一銭五厘) 右は此度執行相成る陸海軍聯合演習付金城社に於て夫々調査の上遠・三・尾・勢・濃五ヶ国の明細図を書き是に兵士軍艦出入場幷に戦闘の場所等を地理上より精細に指示し、、、、、○又裏面に於ては名古屋細図に○貴顕旅館官衙学校病院銀行會社組合旅舎料理店温泉芝居寄席等の所在より○医師○書工○撃剣家○弓術家馬術家○碁家の諸名人及び市内遊覧所○宿屋心得等迄記載したものなれ実地演習に臨む軍人拝覧人は勿論苟も戦地地理模様及び名古屋実形知らん欲する人は最も必要の地図なり則ち地図一枚購求せば居ながら演習地の事名古屋の事を一目の下に知る事を得る無上の良地図なれば御愛求を乞ふ 明廿七日より発売 名古屋市下長者町三丁目新聞販売舎(3月26日) この広告を見ると、新聞社演習拝観人をあたかも観光客のように考え、「戦地地図」と称した観光案内図を販売し一儲けをしようとしてたように思われるまた、一般拝観人も軍事演習拝観というよりもサーカス芝居興行見物に行くような感覚でいたのではないかと感ぜられる。 これには政府当局意向反映されていたと考えられる。すなわち、多くの人に演習見学させ、一般国民軍隊身近なものとして感じさせるように仕向けたということである。大演習諸外国から公使らを招待したのは、日本近代化アピールすることを意図して行われた同時に国内的に軍隊実際の姿を広く国民の間に知らしめるという目的もあったのである

※この「大演習の招待者と見学者」の解説は、「明治天皇駐蹕御趾」の解説の一部です。
「大演習の招待者と見学者」を含む「明治天皇駐蹕御趾」の記事については、「明治天皇駐蹕御趾」の概要を参照ください。

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