大演習の招待者と見学者
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「明治天皇駐蹕御趾」の記事における「大演習の招待者と見学者」の解説
大演習の陪観にどのような国からどのような人が招待されていたのかを、当時名古屋を中心に発行されていた「金城新報」の記事(3月28日)から拾ってみると次のとおりである。 佛国(フランス)特命全権公使 白耳義国(ベルギー)特命全権公使 獨逸国(ドイツ)特命全権公使 露国(ロシア)特命全権公使 清国特命全権公使 澳地利洪牙利国(オーストリア=ハンガリー)臨時全権公使 米国(アメリカ)特命全権公使 葡萄牙国(ポルトガル)臨時代理公使 和蘭(オランダ)、瑞西(スウェーデン)、諾威国(ノルウェー)臨時代理公使兼丁抹(デンマーク)[外交官 朝鮮国代理公使 佛国(フランス)公使館付特命大尉 英国(イギリス)海軍大佐 普国(プロイセン)参謀少佐 1人で数か国の公使や外交官を兼任している者もいるが、のべ15か国から公使や武官を招待した。公使らの随員も考慮すると、数十人の外国人が大演習の陪観に日本を訪れたことになる。前出の金城新報に「大演習拝観人民の心得」と題した記事が掲載されている。 以下は、その中で特に外国人を意識した部分である。 一拝観人たるもの演習中に猥に音声を発し又は口笛を吹く等渾て喧擾なる挙動は最も演習上の妨害となるものなれば専ら静粛を主として拝観外国人の笑を招かざるよう注意すべし 一拝観人たるもの演習地の範囲内を馳せ或は山林原野等に於て焚き火又は揚煙なす如きは極めて演習の妨害となるものにして此の如き挙動をなすは最も外国人の笑ひを免かれざれば須らく注意を要すべし(3月25日) この記事からは多くの外国人が大演習拝観に訪れ、その眼に日本人の行動が如何に映るかを政府当局者が大いに気にしていたことと、一般住民も多数演習拝観に訪れたことが窺える。実際多くの人が拝観していた。それを示す記事を紹介する。 汽車賃半減 大演習拝観の為静岡県尋常師範学校生徒百有余名は関ケ原或いは名古屋へ赴くべき筈にて鉄道局へ乗車賃金半額減却の儀を請求したりしが同局にては帰路だけの分を半額減却する事となせり(3月23日) 観兵生徒の注意 学習院学監陸軍]大尉柳生房義氏は同院生徒の来る三十日を以て大演習地方へ出発するに先ち観兵者の最も注意すべき要点に付き彼の欧州各国に於ける古来より有名なる大戦争を為したる事蹟及び地図等を第三師団管下演習地に対照し一々観兵の要所を指点する由(3月27日) 生徒の拝観 三重県師範学校生徒百二十余名は今三十日安濃津港より熱田に来り直ちに戦地へ拝観として進行する筈なりと(3月30日) 拝観人の齟齬 昨日は東海道桶狭間に戦争あるべしとの巷説頻りなりしかば拝観人は頻りに同地方に輻輳し来りたると夥敷幾千万人の拝観者が同地に於て今や今やと待掛けたるに豈計らんや桶狭間には何もなく天白川に一戦ありたるも其本軍の戦争は其当違ひの八事山にあり砲声遙に鳴海地方に聞へたるにぞ拝観の者は空しく鳴海辺より立去りたるもの多く天白の戦争は桶狭間辺の拝観人より余程少かりし又た笠寺は右天白川に戦争ありしが為め拝観人の入込み頗る多く同地の飲食店は大概何もかも売切れ思はざる儲口をなしたるもの多しと本社特派員が帰社しての物語(4月3日) 4番目の記事の「幾千万人の拝観者」は大袈裟過ぎるとしても、記事からは多数の人が演習の拝観に訪れたことがわかる。特に学校生徒も多数拝観に訪れていたことは、政府当局筋から演習拝観が推奨されていたことすら推測させる。 さらに新聞広告を見ると、大演習のもう一つの側面も分かってくる。以下にそれを紹介する。 売子二百名募集 此度の大演習に付出版物の売子二百名募集仕候間おのぞみの方は至急御来談あれ 下長者町 諸新聞販売舎(3月25日) 大演習戦地々図附名古屋明細図入獨案内(大判洋紙両面栖一枚眞價一銭五厘) 右は此度執行い相成る陸海軍聯合大演習に付金城社に於て夫々調査の上遠・三・尾・勢・濃五ヶ国の明細図を書き是に兵士軍艦の出入場幷に戦闘の場所等を地理上より精細に指示し、、、、、○又裏面に於ては名古屋細図に○貴顕之旅館○官衙○学校○病院○銀行會社組合○旅舎○料理店○温泉○芝居座 寄席等の所在より○医師○書工○撃剣家○弓術家○馬術家○碁家の諸名人及び市内の遊覧所○宿屋の心得等迄記載したるものなれば実地演習に臨む軍人拝覧人は勿論苟も戦地の地理模様及び名古屋の実形を知らんと欲する人は最も必要の地図なり則ち此地図一枚を購求せば居ながら演習地の事名古屋の事を一目の下に知る事を得る無上の良地図なれば御愛求を乞ふ 明廿七日より発売 名古屋市下長者町三丁目 諸新聞販売舎(3月26日) この広告を見ると、新聞社は演習拝観人をあたかも観光客のように考え、「戦地地図」と称した観光案内図を販売し、一儲けをしようとしていたように思われる。また、一般拝観人も軍事演習の拝観というよりもサーカスや芝居の興行を見物に行くような感覚でいたのではないかと感ぜられる。 これには政府当局の意向も反映されていたと考えられる。すなわち、多くの人に演習を見学させ、一般国民に軍隊を身近なものとして感じさせるように仕向けたということである。大演習に諸外国から公使らを招待したのは、日本の近代化をアピールすることを意図して行われた。同時に、国内的にも軍隊の実際の姿を広く国民の間に知らしめるという目的もあったのである。
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