大下騒動とは? わかりやすく解説

大下騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 19:21 UTC 版)

大下弘」の記事における「大下騒動」の解説

金銭面でのトラブルが元で大下東急球団との間に確執生まれ1951年オフにはパ・リーグ全体巻き込んだ移籍騒動いわゆる「大下騒動」)となる。 かねてより大下母親ヒロポン中毒苦しんでおり、大下球団から前借りした借金170万円にものぼる膨大なもので、かなりの部分母親への薬代消えていったと言われている。一方1948年オフ急映から大映スターズ分離伴って東急側は選手不足となったため、球団頼まれ大下選手集めていた。しかし、球団大下集めた選手対す契約金払おうとしなかったことから、大下球団フロント抗議したところ「文句あったら借金全部払ってからにしろ」と返される。これに激怒した大下金策尽くして球団借金返済の上、「東急に残るくらいなら辞める」と他球団への強い移籍希望伝える。球団側の慰留にも大下決意は変わらなかった。このまま契約成立しなかった場合保留選手とする方法もあったが、給料一部は払わざるを得ない上に試合には出場できないため、やむなく球団側は大下移籍向けて対応を開始した。 まず、同年12月28日東急球団オーナー大川博による大下弘放出談話スポーツ新聞掲載される。これに対して新興球団西鉄ライオンズが金に糸目付けず大下弘獲得乗り出す監督三原脩直接東京田端にあった大下自宅訪問して西鉄への移籍打診すると、大下快諾。早速、三原東急球団代表・猿丸元に会って交渉行った明けて1月5日西鉄球団代表・西亦次郎上京して猿丸会談し東急大下西鉄緒方俊明深見安博交換トレード決める。更に慎重を期して西日本鉄道会長野中春三東京急行電鉄社長大川博訪問してお礼伝えた。なお、西鉄のほか、毎日オリオンズ阪急ブレーブス近鉄パールス大下獲得狙っていた。毎日伊藤庄七片岡博国交換要員としてあげるが、荒巻淳求め東急側と折り合わず阪急戸倉勝城との交換打診する東急阿部八郎要求しいずれも話は流れた。 しかし、ここで大下が行方を眩ましてしまう。東急側が手を尽くして探した結果大下秋田潜伏している情報掴んで西鉄側に伝えた関係者からほとぼりが冷めるまで隠れるように言われ大下は、東急先輩秋田にいた赤根谷飛雄太郎のつてである料理屋にいたという。三原大下自宅留守番をしていた母親のもとを訪ねると、大下去就一任されている代理人称する人物がいた。その代理人を介して大下連絡がつき、1月19日神楽坂料亭大下本人代理人、代表・西、主将川崎徳次協議し契約金給料決めるも、契約書への署名捺印の段になったところで、大下母親相談したい捺印拒んだまま、再び姿を消したその後代理人近畿日本鉄道会合使っている隅田川近く料亭出入りしており、近鉄パールス大下に手を伸ばしていたことが判明。さらに。差出人大下弘名で西鉄球団社長宛に「御社契約した覚えはない」旨の怪文書が届くが、保存してあった大下サイン筆跡異なり偽筆であることがわかったまた、運輸大臣佐藤栄作がこの騒動介入し、かつて鉄道局在籍していた東急大川に対して大下近鉄移籍させるよう圧力をかけたとも言われている。まもなく、パ・リーグ理事長村上実から各球団代表に対して、①大下問題白紙に戻す、②大下獲得希望する球団改め理事長連絡すること、の2点伝えられる。これに対して西鉄のみが大下獲得意思表明し続け近鉄を含む他球団からの申し出はなかった。またこの頃東急大川大下代理人との話として、大下近鉄への移籍希望している旨を、西鉄・西に語っている。 3月上旬パ・リーグ代表者会議で、パ・リーグ会長福島慎太郎から各球団代表に対して、①大下西鉄移籍させるよう努力する、②近鉄大下獲得のために多額金銭使ったことから西鉄から近鉄に対して大下代わりになる選手供出希望、③毎日には獲得断念させる、の3点伝えられるその後東急社長大川博近鉄社長佐伯勇西鉄社長木村重吉トップ会談が行われ、①大下円満に西鉄移籍、②西鉄から東急緒方俊明深見安博移籍、③西鉄から近鉄鬼頭政一移籍、との方針決定した。 しかし、3月下旬になってシーズン始まってもなお、大下行方掴め問題決着しなかったため、4月初旬パ・リーグ会長福島西鉄・西に対して説得従わない大下プロ野球界から追放する覚悟、を伝える。これを受けて西鉄苦労して大下探し出して面会したところ、大下自身西鉄への移籍望んでいるが、代理人反対している旨を話す。そこで、西鉄側から代理人連絡すると、何もなかったように大下契約して構わない旨を伝達された。こうして、4月11日になってようやく大下西鉄移籍実現し騒動決着した移籍後後楽園球場東急ファンから受けた野次対し大下出塁した一塁上で観客席向かって頭を下げ、これには東急ファンも黙るしかなかったという。また、平和台事件の際、暴行受けて血まみれになりつつも観客制止しようとした行動称えられ野口と共に連盟表彰受賞した。なお、大下トレード相手であった深見安博25本塁打記録して本塁打王となり、プロ野球史上唯一の「2チーム在籍した本塁打王となっている。

※この「大下騒動」の解説は、「大下弘」の解説の一部です。
「大下騒動」を含む「大下弘」の記事については、「大下弘」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大下騒動」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大下騒動」の関連用語

大下騒動のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大下騒動のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大下弘 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS