移籍騒動
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1958年オフ、田宮は同年に取得したA級10年選手制度の権利である「ボーナス受給の権利」「移籍自由の権利」の二者択一からボーナス受給の権利を行使するつもりでいたが、本来はどちらの権利を行使するにしても、3年後の再取得の際にはB級となってボーナス受給の権利のみになるはずだった。しかし当時はこの部分が明文化されておらず、コミッショナー機関が示した「A級権利でボーナスを得て残留すればその選手はA級のままであり、移籍自由の権利は残る」という見解が正式とされてしまった。このため、近い将来移籍する可能性がある選手にボーナスは出せないと考えた阪神球団側はボーナスの金銭交渉に消極的になった。 田宮はボーナスを要求するも、ある程度の金額が得られれば残留を考えていた。阪神側は手取り約800万円を提示するが、この金額はこの年近鉄バファローに移籍した大崎三男が近鉄から受け取った支度金とほぼ同額であった。首位打者を獲得して残留しようとする田宮にとって、シーズンわずか2勝で他球団に放出された大崎と同じ金額のボーナスでは余りに少ないと感じた。この状況を見て、大毎オリオンズ・広島カープ・阪急ブレーブス・近鉄バファローが獲得に乗り出し、大毎は阪神の倍額のボーナスを提示したとされる。慌てた阪神はボーナスの増額を提示するが、みみっちい増やし方で問題にならなかったという。最終的に阪神は田宮に契約の意思がないことを通知。やむなく田宮は移籍自由の権利を行使することになる。まず、田宮は阪急への移籍を考えるが、師弟関係でもあった監督の松木に相談すると、阪神と阪急は親会社がライバル関係にあることから、道義的にも感心しないしプレーもやりにくくなることを懸念し、思い切って東京に出た方が良いと、大毎入りを勧めた。阪神から大毎に移っていたスカウトの青木一三の強い勧誘や、田宮自身が日本大学出身で東京になじみもあったことから、結局大毎に移籍した。
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移籍騒動
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「エヴゲニー・マルキン」の記事における「移籍騒動」の解説
2004年にマルキンはNHLのピッツバーグ・ペンギンズにドラフト2位で指名を受ける。NHLの代理人は、シーズン2006/07が移籍の時だと考えていた。2006年の6月にマルキンはメタルルグのジェネラル・マネージャーに契約破棄を申し立てる。マルキンを引き留めたいクラブ幹部はより高い契約金を提示したがマルキンは移籍を希望し、交渉は難航した。2006年8月7日、マルキンは渋々ながらメタルルグとの契約書にサインをする。 その数日後、マルキンはチームメートと共にプレシーズン合宿のためにヘルシンキに出発した。マルキンはメタルルグに残留する決心をしたかのように見えた。だがヘルシンキの空港ではNHLの代理人が待ち受けており、マルキンが到着すると2人は姿をくらましてしまった。マルキンはヘルシンキの米国大使館で密かにビザを申請するとロサンゼルスに逃亡。メタルルグは激怒し、NHLとペンギンズに抗議したが、マルキンを取り返すことはできなかった。後にマルキンはメタルルグと和解した。NHLがロックアウトをしていたシーズン2012/13にマルキンはロシアに戻り、一時的にメタルルグと契約してKHLの試合に出場している。
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移籍騒動
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「マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ」の記事における「移籍騒動」の解説
2005年6月初めに非公式にカタールのクラブ、アル・サッドの強化部長を務めるアマドが渡日し、その後浦和に対してエメルソン獲得の正式オファーが出る。高い移籍金が設定され、浦和から戦力として評価を受けていたが、アル・サッド側は移籍金を支払う事を決めた。交渉に伴って、浦和は6月20日にアル・サッドとの移籍交渉を許可した。アル・サッドからは500万ドル(推定)の1年契約でオファーが出された。Jリーグ中断中に息子が入院していることを理由にブラジルに帰国していたが、再渡日・再合流も家庭を優先する形で引き伸ばしていた。結果的にリーグ再開後もチームに合流できなかったエメルソンは、800万ドル(推定)の移籍金を浦和に残して再び日本の地を踏むことなくアル・サッドへの移籍が決まった。
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