図書館サービスの発展(1960-1988)
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「広島県立図書館」の記事における「図書館サービスの発展(1960-1988)」の解説
1960年(昭和35年)11月17日、みのり3号が運行開始し、移動図書館は3台体制になった。さらに1962年(昭和37年)1月16日、文化船「ひまわり」の完成記念式が挙行され、4月10日から運航を開始した。ひまわりは日本初にして唯一の船を使った移動図書館で、江田島造船所で建造され、1,500冊を積載可能であった。ひまわりの導入により、県内22島33港を4コースに分けて巡航して移動図書館サービスを提供できるようになり、珍しい取り組みとしてNHK広島放送局など多くのマスメディアの取材を受けた。この翌年、1963年(昭和38年)7月に館外貸し出しを開始した。 一方、移動図書館は昼間利用者の減少と地方部の過疎化に伴い、貸出実績が低下し、1965年(昭和40年)4月の東城町(現・庄原市)での試行を皮切りに「協力貸出」へと切り替えていった。協力貸出とは公民館図書室などに県立図書館の本を一定期間配架し、各市町村の自主的な利用・貸出にゆだねるというものである。この取り組みは公民館図書室の利用活性化を通して市町村に図書館設置を促す意図があった。移動図書館自体も1969年(昭和44年)に積載図書に児童書を加えるという改革を行ったところ、児童書利用が活発化し、本館の児童書コレクションが充実していくこととなった。また「幼児文庫」などの児童書で構成された文庫の貸し出しも実施された。さらに広島県教職員組合と広島県教職員弘済会はそれぞれ「互助組合文庫」と「教弘文庫」を県立図書館の移動図書館に寄託し、毎年文庫の本を更新したことから、移動図書館の利用率向上に貢献し、地方部への読書普及に役立った。 館内活動としては、1968年(昭和43年)に郷土資料室が設置された。1961年(昭和36年)10月には既に郷土資料収集計画を作成し、県内市町村と協力して収集を開始しており、1966年(昭和41年)12月13日に福尾猛市郎らが公文書館の機能を図書館に持たせることを主旨とした「広島県沿革史料の保存施設に関する請願書」を県議会議長宛に提出したことが追い風となり、本館3階に180 m2の部屋が増築されて1968年(昭和43年)4月に郷土資料室として開室した。この時点で県内4家の古文書群を保有し2人の職員が配置されたが、2人では到底公文書館の代行はできず、実態は郷土資料の収集・閲覧が主業務となった。 1981年(昭和56年)7月31日、文化船ひまわりの運航を終了した。1984年(昭和59年)、広島県立図書館事件が発生する。1986年(昭和61年)より移動図書館「みのり」の運転業務が業者委託となり、1988年(昭和63年)4月1日には図書館本館の管理運営が財団法人広島県教育事業団に業務委託された。名目は「業務補助」であるが、館長・副館長・課長は事業団から職務委嘱辞令が下され、一般職員は事業団へ出向することになり、ほぼ全面委託となった。同年7月1日より新館への移転作業のため、図書館本館が臨時休館となり、新館の開館まで移動図書館が各市町村を循環して図書館サービスを提供した。
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