広島県立図書館事件
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「広島県立図書館」の記事における「広島県立図書館事件」の解説
広島県立図書館事件(ひろしまけんりつとしょかんじけん)は、1984年(昭和59年)に発生した事件である。この事件は図書館の現場だけでなく、広島県の行政の在り方にまで問題が波及し、1973年(昭和48年)の山口県立山口図書館図書隠匿事件と並び図書館の自由をめぐって問題を巻き起こした。この事件の詳細は、『「広島県立図書館問題」に学ぶ「図書館の自由」 『長野市史考』の経験をふまえて』(日本図書館協会、1985年、ISBN 4820485172)の題で専門書が出版されている。 事件の発端となったのは、1984年(昭和59年)1月12日にある利用者が『同和問題の実際』という図書の閲覧・複写を申し込んだことであった。同書は部落問題の検討のために広島県民生労働部社会課が1966年(昭和41年)に編纂し、県内422か所の被差別部落の名称・戸数・人口を掲載し、「差別事件の解決方法」という他県の資料を転載した図書であった。元来この図書は同和行政のための内部資料として作成され、「差別事件の解決方法」には差別を助長する恐れのある記述があったため該当部分は撤回されていた。しかし、いつしか広島県立図書館が所蔵し、撤回箇所もそのまま掲載した状態で一般市民が利用可能な状態になっており、さらに図書館が複写を許可したことが問題となったのである。 部落解放同盟広島県連合会は、これに対して糾弾を行い、県立図書館が調査に乗り出したところ、別の事件が発覚する。「表現・内容に問題がある」として本館の図書137冊、移動図書館用の図書25冊、受け入れ保留図書22冊をロッカーに入れて別置し、図書目録カードからも抜き取り、事実上利用不能な状態にしていたのである。これは知る権利の侵害に当たる重大問題であり、図書館による検閲と言える問題であった。図書館側が図書を別置したのは、県教育委員会から表現・内容に問題がある図書について16件の通知を受け取っていたことが背景にある。この通知の指導性・拘束性から、図書館側は図書の具体的な問題を検討することなく館長や課長、同和教育推進委員といった一部の人間のみで別置を決め、一般の職員には知らせていなかった。一般職員が知ったのは同年1月27日のことで、翌1月28日から所蔵する郷土資料2万冊を総点検するよう命じられた。 総点検の過程でさらに事件が発生した。2月10日頃に担当課長が問題となっていた別置図書25冊と受け入れ保留図書10冊から表紙、奥付、蔵書印の押印部分を除去し、除籍済の図書とともに溶解処分しようとしたのである。この事件は、裁断機の前で不審な紙切れを発見した職員により、これらの図書が溶解される前に明らかとなったため、実際には破棄されずに済んだ。 この事件の問題の諸点は次のように整理される。 知る権利や表現の自由を侵害する別置を行う一方で、差別を助長しかねない図書を一般公開していた。 図書館側で検討を加えず、行政の指導のままに図書を抜き取っていた。 図書の別置を一部の人間だけで行い、全職員の問題として扱わなかった。 職員の蔵書や利用者に対する取り組みが不十分であった。 事件を受けて県立図書館では、1983年(昭和58年)9月28日に制定した「同和関係資料の取り扱いについて」を廃止して「人権またはプライバシーにかかわる関係資料の取り扱いについて」を新たに制定した。このガイドラインにより人権にかかわる図書の積極的な収集が規定された一方、人権・プライバシーを侵害する図書は別置し、複写を禁止することが決定した。 この事件には関係した図書館長の責任がほとんど不問に処されたという問題もある。館長は教育委員会に背いてでも表現の自由・図書館の自由への政治的干渉に立ち向かうべきであったのにそれをしなかったが、司書資格を有していなかったため責任を免れたのではないかと森耕一は指摘した。館長に司書資格を持たない素人が任命される現状が変わらなければ同様の事件は再発しかねず、司書の専門性・必要性の社会認知の拡大と大学での司書養成課程の改善が待たれている。
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