広島県立医専時代
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1945年(昭和20年)2月13日 - 広島県立医学専門学校の設立。県立病院を附属病院とする。初代校長の林道倫ほか教授陣は岡山医科大学に依存。 3月6日 - 開校。学則を制定し、広島県報第8号に告示。 4月1日 - 広島県立広島病院(前記「公立広島病院」の後身)を本校附属医院とした。 8月5日 - 開校式を挙行。広島県高田郡小田村に疎開。 8月6日 - 原爆被災。校舎・附属病院は全焼全壊。 8月8日 - 疎開先で第1回入学式を挙行。即日授業を開始。 12月6日 - 学校・附属医院を賀茂郡安浦町に移転。 1946年(昭和21年)12月30日 - 呉・広の両共済病院との間に学生の臨床実習委託契約を締結。 1947年(昭和22年)2月1日 - 呉市立市民病院および呉市立呉病院が県に移管され、前者を附属医院本院、後者を阿賀分院とする。 2月15日 - 本部を呉市に移転。
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広島県立医専時代
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1945年(昭和20年)2月 - 広島県立医学専門学校を設立し、県立病院を附属病院とする。 1947年(昭和22年)2月 - 呉市立市民病院および呉市立呉病院が県に移管され、前者を附属医院本院、後者を阿賀分院とする。
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