文化船「ひまわり」とは? わかりやすく解説

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文化船「ひまわり」(1962-1981)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/08 07:00 UTC 版)

広島県立図書館」の記事における「文化船「ひまわり」(1962-1981)」の解説

多く離島抱え広島県では、島に本を届けるために文化船「ひまわり」を運航していた。ひまわり第六管区海上保安本部船舶技術部設計指導により江田島造船所建設され木造船で、長さ14 m、幅3.7 m、トン数19.8 tであったひまわり就航までは、島の各拠点巡回文庫設け担当者本土の港(尾道港仁方港、警固屋港、竹原港)までケース入った文庫セット取りに行くというシステム取っていたが、文庫セット1つ40冊にすぎず、貸し出し50 - 60冊ほどであったひまわり1962年昭和37年4月10日運航開始し宇品港拠点に、県内の島を4コース分けて、各コース12時前後かけて巡回した船内には書架スペースのみならず閲覧室会議室ポータブルテレビまで備えており、港には船の入港を待つ島民行列ができた。基本的に移動図書館として運用したが、広島県教育委員会活動県政広報活動にも利用できる規定があり、実際に映写機映画フィルム運搬貸出することにも使われた。 当初もてはやされひまわりは、しまなみ海道開通により移動図書館車「みのり」が島まで乗り入れ可能になったこと、木造ゆえ老朽化早く維持費もみのりより高く付いたこと、積載量がみのりより少なく運航天候左右されやすいことなど負の要素積み重なり1981年昭和56年7月31日宇品から厳島宮島)、阿多田島回って宇品戻り運用終了した。約20年運航距離は91,607 km利用者数は445,320人、貸出冊数693,138であった退役後のひまわり瀬戸田町(現・尾道市)のB&G海洋センター展示保存されることになった2015年平成27年)には解体決まったものの、地元有志反対運動行って解体免れた2017年平成29年11月には「文化ひまわりB.Bプロジェクト」が発足し、船の補修広報活動船内での読み聞かせイベントなど通して船の維持歴史継承続けている。

※この「文化船「ひまわり」(1962-1981)」の解説は、「広島県立図書館」の解説の一部です。
「文化船「ひまわり」(1962-1981)」を含む「広島県立図書館」の記事については、「広島県立図書館」の概要を参照ください。

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