半田地域文化広場時代(1984年 - )
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「半田市立図書館」の記事における「半田地域文化広場時代(1984年 - )」の解説
1970年(昭和45年)頃から図書館協議会において新館建設の機運が徐々に高まり、また市民による署名や陳情などの活動が行われたことで、1978年(昭和53年)の半田市総合計画実施計画の中に図書館の建設が盛り込まれた。図書館協議員は日本国内の先進的な図書館の視察に出かけ、図書館職員は愛知県内の先進的な図書館の資料を収集した。旧半田市立半田病院跡地や半田消防署東側なども建設地の候補に挙げられたが、小高い丘に大きな木が植わっている任坊山(桐ヶ丘)が建設地に選定された。建設地の決定後には図書館建設準備委員会が設置され、先進的とされる福生市立図書館・日野市立図書館・昭島市民図書館(いずれも東京都)などを視察した。当初は図書館単独施設の建設を想定していたが、やがて美術館との併設案が出され、最終的には博物館との複合施設となった。1980年(昭和55年)6月に建設計画が発表され、建築設計競技を行って浦野設計を設計者に選定、1981年(昭和56年)6月に基本設計が決定した。 1982年(昭和57年)12月27日に着工して建設工事を行い、1984年(昭和59年)3月に建物が完成。7月には旧館から図書を運搬する作業を開始、10月1日には新館が開館した。敷地には半田地域文化広場という名称がつけられ、半田市立図書館、半田市立博物館、半田空の科学館、半田市体育館、半田市はなのき広場が一体的に整備されている。移転と同時にコンピュータを導入しており、バーコード式の貸出カードが導入された。なお、児童については1984年以前は読書ノートによる貸出を行っており、1984年以後はブラウン方式に改められた。移転を機に視聴覚資料の貸出を開始し、最大貸出冊数を2冊から3冊に増やしている。移転を控えた昭和50年代には蔵書数が大きく増加し、1984年の開館時の蔵書数は約10万冊、1987年(昭和62年)の蔵書数は約11万冊だった。1990年(平成2年)4月には祝日開館を開始するとともに、最大貸出冊数を3冊から5冊に増やしている。 1994年(平成6年)には利用者用検索電算機(OPAC)を導入した。1995年(平成7年)1月には最大貸出冊数を5冊から30冊に増やし、2月11日には複製絵画の貸出を開始した。2001年(平成13年)4月1日には「10時-18時」だった開館時間を、7月21日から8月31日は「10時-21時」に、それ以外の時期は「10時-19時」に変更した。2004年(平成16年)には7月21日から8月31日の開館時間を「10時-21時」から「9時-19時」に変更している。2003年(平成15年)4月には図書館ウェブサイトでの蔵書検索を開始し、2005年(平成17年)7月22日にはウェブサイトからの予約サービスを開始している。 2009年(平成21年)10月31日には国文学者の真銅正宏による講演会「流行作家風葉の小説作法」を開催した。2011年(平成23年)10月22日には国文学者の中丸宣明による講演会「明治30年代の小栗風葉 その新しさと古さについて」を開催した。2012年(平成24年)5月10日には半田市立成岩小学校をはじめとする小学校で学校巡回文庫サービスを開始し、司書によるブックトーク事業も行っている。2014年(平成26年)6月3日には図書館建設30周年キャラクターを制定しており、半田市出身の絵本作家である間瀬なおたかがデザインを担当している。2015年(平成27年)3月1日には公式twitterアカウントを開設。同年10月31日には国文学者である塩村耕による講演会「古書の王国愛知県」が開催された。2016年(平成28年)4月1日には雑誌スポンサー制度を開始した。
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