前期的資本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 18:30 UTC 版)
近代資本主義(独: der Moderne Kapitalismus、英語: modern capitalism)より前の諸経済において、資本となる前の元手を前期的資本(vorsintflutliche Kpapital)という。直訳すると「ノアの大洪水以前の資本」という意味であり、元手としての資本はかくも大昔から存在していたという意味である。近代産業資本(近代資本主義の資本)の対義語として前期的資本と呼ぶ。前期的とは言っても、これが発展すれば自動的に近代資本主義になるわけではなく、近代資本主義へ発展するためには後述する特殊な条件が必要である。前期的資本は、商品流通と貨幣流通さえあれば存立しうる。前期的資本の存在しない経済は貨幣の存在しない経済(物々交換経済、あるいは完全自給自足で物々交換すら行われない経済)である。 前期的資本主義の経済では、市場関係が未成熟ですべてが多分に非合理性と偶然性を含んでいる。市場が非合理性を持つからこそ投機的イデオロギー(商略・欺瞞・暴力)によって巨利を得ることのできる経済であるともいえる。そこには近代資本主義に見られる勤労・勤勉・誠実・正直・信用・目的合理的経営・成長を伴う投資といった原則は全くない。 イギリス古典派(the classical school、アダムスミス、デヴィッド・リカードなど)やカール・マルクスは、技術進歩・資本蓄積・商業発達の3条件が満たされれば自動的に近代資本主義へ発展するという。しかしマックス・ウェーバーは世界の歴史をくまなく調査して、技術進歩・資本蓄積・商業発達が高度に達成され巨富を築いた貨幣経済においても、ついに近代資本主義が発生を見なかった例を大量に発見し、近代資本主義へ発展するためにはさらなる4つの条件(資本主義の精神、der Geist des Kapitalismus,the spirit of capitalism)が必要であると発表した。 「利潤の追求を正常なこととする精神」。前期的資本においては利益を奪い取る投機が横行し、利潤の追求は投資家自身によってすら倫理的に悪であると考えられていた。投資家は最下層の民衆を相手に商業や金貸しを行う事が多かったため、賤民資本主義(paria Kapitalismus)と呼ばれたほどであった。近代資本主義のように成長を伴う投資が成功するためには、勤労・正直・信用といった美徳によって人々の支持を得ている必要がある。つまり利潤が発生したということは、これら美徳を実践した証拠であり、倫理的に善なのだというイデオロギーへの改革が、近代資本主義へ発展するために必要な精神である。 「目的合理性」。宗教儀式や伝統主義(単にいままでそうしてきたというだけでその行動を是とする)を廃して、複式簿記・資本主義市場法則・近代法律学・数学・理論物理学といった近代科学的発想で行動する。すべては合理的な労働から得られるのであり、思いがけない幸せを神に祈るようなことは行ってはならない。雑多な宗教儀式や呪術は言うに及ばず、社会のしきたりに反すれば人に批判されるから妥協するとか、自分の見込んだ客にしか商品を売らないといった伝統主義的行動を捨てて、勤勉・質素・正直・慎重・周到といった自己の正義・徳性に従って行動する精神。 「労働を尊ぶ精神」。労働それ自身が救済であり、労働によって人間の価値が決まるとする精神である。金儲けを第一の目的とせず、食料や衣類など隣人が欲している物を「正当な価格で」売ることは、隣人愛の精神に合致している。利益のためではなく隣人のために禁欲的に働く。その結果として利益が出てくるならば善いことである。つまり正しい経済行為によって得られる利益は正しいとする精神である。この精神は、利益を悪として禁止するほどの抑圧・緊張のある社会にしかうまれない。 「時間は貨幣であり、貨幣は信用であり、信用は態度である」。一日に10シリング稼げる人が、半日なにもしないで5シリングしか稼がなかったとすれば、彼は5シリングを無駄にしている。高い信用があれば低利で融資を受けられ、より高利の経営によって利益を生じやすい。勤務時間中に遊技場に居る態度を債権者に見られれば、信用を失うであろう。納期や利子といった流通を促す発想であり、滞貨を発生させない精神でもある。 マックス・ウェーバーは、宗教とはエトスであると定義した上で(この定義では、例えば個人の悪徳は公共の美徳であり自由競争市場がベストであるという古典派の学説やマルクスの学説なども一種の宗教とみる)、このような精神改革を促したものこそ、隣人愛を説く一神教、すなわちキリスト教(特に宗教儀式を廃して合理化をすすめたプロテスタント)であるという。日本においては山本七平が、日本人の労働モラルの高さを支えた宗教として仏教の宗派である禅宗の「労働即仏行」を指摘している。 小室直樹は、古事記や日本書紀に登場する天照大御神などの皇祖神がすでに自ら養蚕を行うなど労働を尊んでおり、日本人の労働モラルの高さは日本神話の影響であり、労働が原罪に対するペナルティーである欧米の一神教諸国とは事情が異なると分析している。さらに、近代資本主義という経済はどの国家でもなりたければなれるものではないとした上で、日本の近代資本主義発生の過程について、浅見絅斎の靖献遺言や山崎闇斎の崎門の学や山鹿素行の中朝事実に見られる勤王思想が一神教的教義を醸成し、幕末の下級武士たちに自己を捨てて目標へ邁進する禁欲的行動精神をもたらし、吉田松陰や橋本左内などの勤王の志士がうまれて明治維新が発生し、その後は彼ら自身が資本家となり四民平等のリーダーとなることで日本の資本主義と民主主義が発進したのだと分析している。
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