前期西北統治とは? わかりやすく解説

前期西北統治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/07 02:48 UTC 版)

朱紹良」の記事における「前期西北統治」の解説

1933年民国22年5月西北地域統制を図る蒋介石の命により、朱紹良甘粛省政府主席に任ぜられ、8月には甘粛綏靖公署主任兼ねた1935年民国24年)に「地方自治人員訓練班」、1938年民国25年)に「西北幹部訓練団」を設立するなどして、国民政府中央の統制浸透尽力した。しかしアヘン取締には力を発揮せず、逆に大量栽培によって利益得よう図ったり、あるいは馬家軍対抗するために孫殿英の軍を西北招き入れて混乱惹起したりするなどしている。 1935年民国24年2月朱紹良は剿匪軍第3総司令兼任し長征中の紅軍への迎撃体制整えた10月には西北剿匪第1路総指揮に任ぜられる。ところが同月20日蘭州城内火薬庫爆発事件発生し、この責任をとる形で甘粛省政府主席辞任した11月国民党第5回全国代表大会で中央執行委員選出されている。翌年12月西安事変の際には、蒋介石と共に張学良楊虎城拘禁され憂き目にも遭った1937年民国26年)の日中戦争抗日戦争勃発後は、朱紹良第3戦区異動し、第9集団軍総司令に任ぜられた。日本軍との戦いでは、蒋介石持久戦指令を受ける形で積極的な攻勢にはほとんど出なかった。12月第8戦区長官司令部蘭州成立したことに伴いは再び西北戻り第8戦区副司長官甘粛省政府主席となったは蒋から中国共産党への圧力強化の任を委ねられ翌年11月には第8戦区司令長官昇進した

※この「前期西北統治」の解説は、「朱紹良」の解説の一部です。
「前期西北統治」を含む「朱紹良」の記事については、「朱紹良」の概要を参照ください。

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