制作方針とフォーマット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 10:20 UTC 版)
「東海テレビ制作昼の帯ドラマ」の記事における「制作方針とフォーマット」の解説
東海テレビ制作の昼ドラは、1964年5月にフジテレビの制作要請を受け始まったものである。その理由は、フジテレビのスタッフの多くが東京オリンピックの取材などに回され、人材が不足していたためと言われている。 東宝テレビ部、泉放送制作、テレパック、国際放映、ビデオフォーカスのテレビ制作プロダクションが実質的な制作に携わる制作体制で、東海テレビは制作局の東京制作部が企画・人員選定・制作・宣伝を担当し、名古屋本社側は営業・宣伝・CM送り・提供クレジット、視聴者プレゼントの宛先を担当するのみだった。このため、2010年10月以後、一部の作品では「制作著作:○○(制作会社名)、制作:東海テレビ放送」とするクレジット字幕を出したこともあったが、大抵は「制作:東海テレビ放送、○○(制作会社名)」とすることが基本的だった。2010年1月期に放送された『インディゴの夜』はフジテレビを傘下に置くフジ・メディア・ホールディングスの子会社である共同テレビジョンが当枠で初めて制作に関わった。 前記の理由から、著作権は基本的に制作会社が有し、東海テレビの権利が切れるのを待って、系列外を含めたローカル局での遅れ放送(当該地区では実質的な再放送)が実施されている。また、一部作品はCS放送で放映されている。 1970年代の『あかんたれ』あたりから社会現象的ヒットを放つようになった。『愛の嵐』や『華の嵐』などの『嵐』シリーズで人気を集め、さらには『真珠夫人』・『牡丹と薔薇』・『冬の輪舞』といったドロドロ愛憎劇(Love and Hatred Opera、LHO)をテーマとした作品群が大ヒットを博し、社会現象にまでなった。『真珠夫人』・『牡丹と薔薇』・『冬の輪舞』の3作品は、何れも番組放送終了から数ヶ月後に『金曜エンタテイメント』でスペシャル版が放送された。夏・冬・春の長期休暇でこの時間帯にも在宅することが多くなる小学生や中学生などに配慮し、夏季(7月 - 9月)と冬季(1月 - 3月)には『はるちゃん』シリーズや『貫太ですッ!』・『女医・優〜青空クリニック〜』といった比較的ライトな内容の作品を編成することもあったが、「東海テレビの昼ドラと言えばドロドロ愛憎劇」という印象が強かった2000年代後半はファミリー向けの編成はしなかった(もっともこの時期はMBSやCBC製作による『ドラマ30』がファミリー向けの作品が多めだったのである意味差別化ともいえる)。しかし長期的に視聴率低迷傾向が続いたため、2009年春改編以降は枠改革を行い、内容によって期間を変えて季節を問わず様々なタイプのドラマを放送する方針に変更した。 番組開始当初はスタジオの関係上、名古屋での収録だったが、1969年の『どっこいショ』から東京での収録になった。このことから、東海テレビのサービスエリアとなる東海3県を舞台に描くドラマは「嵐がくれたもの」(1959年の伊勢湾台風が題材。この時は愛知県を中心としたロケが行われた)などごく限られ、稀に地方ロケが敢行された。 作品の放送開始前・放送期間中・放送後に番宣番組や特別編が放送されることがあった。 他のフジテレビ系列局においてタイアップ曲のCDのCMにおいて、「東海テレビ制作・フジテレビ系列昼ドラマ『○○』主題歌」など、クレジットを紹介していた。 放送中の作品の公式サイトでは視聴者からの意見・感想を受け付けているが、一度スタッフが目を通したものを選考して掲載を行った。 一部作品は派生した展開が行われ、『はるちゃん』と『インディゴの夜』は舞台化された。 この枠が好評を博したことに刺激を受け、1971年に中部日本放送(CBC)、1975年に毎日放送(MBS)も昼ドラの制作に参入した。しかし、2009年3月27日をもって毎日放送・中部日本放送制作の昼ドラが終了し、その後テレビ東京系列で放送していたLドラが終了したことに伴い、2010年4月5日からは地上波民放の昼の時間帯で唯一新作を放送する全国ネットの昼ドラマかつ帯ドラマとなった。
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