刊行の歴史
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「Vフォー・ヴェンデッタ」の記事における「刊行の歴史」の解説
『Vフォー・ヴェンデッタ』は当初、イギリスのコミック雑誌『ウォリアー』(Warrior (comics))に1982年から1985年にかけて白黒の作品として連載された。なお、ムーアの初期の代表作『マーベルマン(ミラクルマン)』も同時期に連載されている。『Vフォー・ヴェンデッタ』というタイトルは編集長のデズ・スキンがつけたものだという。タイトルは「VはVendetta(復讐)のV」の意味。また主人公の"V"の外見は、近代的な警察官の制服をもとにしたデザインが予定されていたが、ロイドの発案により現代版のガイ・フォークスという姿になった。 シリーズの連載中に『ウォリアー』は1985年に廃刊になったものの、1988年にDCコミックスから今までの話がカラーとなって復刊され、さらに残りの話が追加されて全10巻のミニ・シリーズとなってストーリーは完結を迎えることとなった。現在では2つの短編とともに一冊にまとめられて出版されている。1970年代後期から1980年代にかけてのイギリスでは、前述の『マーベルマン』や『ジャッジ・ドレッド』など冷戦やサッチャー首相による強硬な政策の影響から全体主義をテーマにしたコミックが数多く生まれており、当時のイギリス国内の政治情勢はムーアの着想に影響を与えた。 コミックのスタイルとしては、ロイドの提案によりオノマトペ(擬音)が一切使用されていない。またムーアがこの作品から使いはじめた、緻密に絡み合って進んでいく複数のプロット、様々な象徴が隠されたアートのデザイン、文学からの引用や言葉遊びといった手法は、後の彼の代表作『ウォッチメン』でも多分に使われることになる。また"V"とイヴィーの関係などが『オペラ座の怪人』と似ているという指摘もある。
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刊行の歴史
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この小説は、1748年11月と1749年2月に2分冊の形で刊行された。当初、この小説に対して政府はなんら反応を示さなかったが、第1分冊の刊行後1年を経た1749年11月、クレランドと版元の出版者が逮捕され、「王国国民を堕落させた」罪で罰金を科せられた。法廷においてクレランドはこの小説を破棄することを誓い、本作は公的に社会から抹殺された。しかし、この本の人気は高まりを見せていたため、海賊版が流布するようになった。特記すべき点は、男性同士の同性愛をファニーが壁の隙間から覗いている場面を描いたエピソードが新たに挿入されたことである。クレランドは問題箇所を削除した修正版を1750年3月に刊行し、この新版のためにまたしても起訴されているが、この告訴はやがて取り下げられた。J・H・プランプなど一部の文学史家は、このときの告訴は「男色」の場面を収録した海賊版に起因するものではないかとの仮説を立てている。 19世紀にはアンダーグラウンドで本作が売買されるようになり、アメリカ合衆国でも出回るようになっていたが、1821年に発禁処分を受けた。 1963年にもジョージ・P・パットナム(英語版)が"ジョン・クレランド作『ある遊女の回想記』"の題で本作を出版しているが、やはり即座に猥褻物頒布の罪で発禁となっている。出版者は法廷でこの処分に対して異議を申し立てている。 1966年、合衆国最高裁判所は『回想』対マサチューセッツ州事件 (Memoirs v. Massachusetts) に対して、この発禁小説はロス基準(アメリカのポルノ出版業者サミュエル・ロスの名にちなむ。ロス対合衆国事件 (Roth v. United States) で決定された、猥褻文書か否かを判定する基準)を満たさず猥褻文書には当たらないものとするという画期的な判決を下した。 エリカ・ジョングが1980年に発表した小説『ファニー』では物語がファニーの視点から語られており、登場人物の1人として作中に現われるクレランド自身が、私の人生を小説のネタにするなんてとファニーから文句を言われるという筋書きになっている。
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