刊行と伝来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 00:28 UTC 版)
『天工開物』は明末期の1637年に刊行されたと考えられている。続く清の時代にも中国国内ではほとんど評価されず、散逸してしまった。 一方、日本では1708年(宝永5年)に貝原益軒の大和本草などに引用され、また木村蒹葭堂が秘蔵していたという。1771年(明和8年)には訓点と添え仮名の施された和刻本が出版された。平賀源内も読んだといわれる。 中国では1912年の中華民国建国後、地質学者の丁文江が探していたところに、日本に留学して地質学を学んでいた章鴻釗(中国語版)が持ち帰ったことが契機となり、再評価されるようになった。
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