任天堂との関係
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「ファイナルファンタジーシリーズ」の記事における「任天堂との関係」の解説
『ファイナルファンタジーVII』をPlayStationで開発したことをきっかけに、それまでハードウェアを供給し続けてきた任天堂とスクウェアは険悪な関係になった。これは、大容量のメディアを採用したハードを求めていたスクウェアの開発姿勢と任天堂の方針が大きく食い違っていたことが原因だった(そのためスーパーファミコンの末期のスクウェアタイトルは、ソフトの発売スケジュールが全て繰り上げられた)。詳細はスクウェア・エニックス#任天堂との関係を参照。 これ以降、長らくスクウェアは任天堂のハードでFFシリーズを開発することはなかった。その中で、携帯ゲーム機市場においてスクウェアは大きな苦戦を強いられることとなる。2000年以降、スクウェアはFFシリーズのスピンオフ作品である『はたらくチョコボ』を皮切りにバンダイの携帯ゲーム機であるワンダースワンに参入し、その後FFシリーズ初のリメイク作品をリリース。しかし、携帯ゲーム機市場における任天堂のゲームボーイシリーズの圧倒的優位は揺るぐことがなく、ワンダースワン自体が短命ハードとして市場から姿を消していった。 代表取締役社長が和田洋一に交代、方針転換してからは関係が改善し、ゲームボーイアドバンス用ソフトとして外伝的作品『ファイナルファンタジータクティクスアドバンス』や『チョコボランド』などがリリースされる。その後、スクウェアとエニックスの合併を経て、ゲームキューブ用ソフト『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』が発売。任天堂ハードでの新作FFとしてシリーズ化されている。 また、2004年からはナンバリングタイトルの移植・リメイク作品が任天堂の携帯ゲーム機向けに発売されるようになった。同年7月には『ファイナルファンタジーI・II アドバンス』を発売。2005年10月には『ファイナルファンタジーIV アドバンス』のゲームボーイアドバンスでの発売を発表すると共に "Finest FANTASY for ADVANCE" というキャッチフレーズで「携帯機完全移植計画」を開始。ゲームボーイアドバンス向けには2006年10月に『ファイナルファンタジーV』、同年11月に『ファイナルファンタジーVI』の移植版が、ニンテンドーDS向けには2006年8月に『ファイナルファンタジーIII』、2007年12月に『ファイナルファンタジーIV』のリメイク版が発売された。 一方で、ナンバリング作品がPSプラットフォームとXboxプラットフォームの両方で発売されるようになってからも、任天堂ハードでは『ファイナルファンタジーVII』以降のナンバリング作品は発売されていなかった(例外として、PS2で発売された『ファイナルファンタジーXII』の派生作品として、『ファイナルファンタジーXII レヴァナント・ウイング』がニンテンドーDS向けに発売されている)が、2018年9月にはポケットエディションながら『ファイナルファンタジーXV』がNintendo Switchに移植され、 『ファイナルファンタジーXII』まで(VIIIとXIは除く)の移植も発表された。 本シリーズはバーチャルコンソールにてFC・SFC版の作品が販売されている(2023年3月販売終了)。
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任天堂との関係
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「スクウェア・エニックス」の記事における「任天堂との関係」の解説
ファミリーコンピュータ・スーパーファミコン全盛時代、ドラゴンクエストシリーズというビッグタイトルを持つエニックスは、任天堂のサードパーティーとして重要な位置にあった。ファイナルファンタジーシリーズで追いかける形にあったスクウェアは、任天堂との関係が深かった小学館(ゲーム・オン!編集部)との合同企画として1994年に『ライブ・ア・ライブ』を製作したり、1996年に『スーパーマリオRPG』を共同開発するなど、任天堂との関係を強めようと模索していた。 しかし『ライブ・ア・ライブ』はさほどヒットせず、『スーパーマリオRPG』はヒットしたものの、スクウェア側のスタッフが独立してしまうなど必ずしもスクウェアの思うようにはならなかった。この時期と前後して、『ファイナルファンタジーVII』の製作スタッフである坂口博信が「PlayStation」(PS)の描画能力に魅力を感じていた事から、FFシリーズのPSへの移籍への道を探っていた。 スクウェア自体もまたこの流れに同調し、『トレジャーハンターG』を最後に任天堂ハードへのソフト開発(NINTENDO64(N64)用に企画していた約10タイトル含む)を中止する。鈴木尚スクウェア社長(当時)によれば、PSに独占供給を決めた際に任天堂の山内溥社長(当時)は「機種の選択という意味では仕方がない」と語っていたが、その際にスクウェアの社員がエニックスをPS陣営に誘うために、エニックスに加え他のソフトメーカー達にN64は駄目だと吹聴していたことが山内社長に伝わってしまったことから、任天堂との深い確執が生まれてしまうことになった。これに加えて、スクウェアの子会社デジキューブのIPOアピールの過程で、任天堂のビジネスがいかに「遅れた」ものかを喧伝してしまった。このため、ゲーム機だけではなく任天堂のビジネスそのものに難癖を付けた形になり、さらに任天堂側の態度を硬化させる事となった。 時を同じくして、エニックスもソニーからドラクエシリーズの移籍の勧誘を別個で受けていたが、その際の返事は「PSの本体売り上げが一定数を越えたら考える」というものであった。その後、1997年になりエニックスは当初N64かPSかで迷っていた『ドラゴンクエストVII』をPSで開発、発売することを発表する。ただ、エニックスはスクウェアとは違い、PS参入後もドラゴンクエストモンスターズなど任天堂携帯ハード用のソフトを販売し、任天堂との関係を続けた。 2001年、スクウェアは映画事業の失敗により多額の特別損失を計上する。この時期、スクウェアは任天堂の次世代携帯型ゲーム機であるゲームボーイアドバンスへの参入を模索していたが、上述の一件が原因で当時のスクウェアは任天堂への出入りを禁止されており、山内社長や今西紘史広報室長(当時)が参入の可能性を強く否定するなど取引は順調には進まなかった。そうした中で行われたデジキューブの株主総会では任天堂商品が扱えない事が問題となり、株主からの「土下座してでも任天堂と和解しろ」との声にデジキューブ染野取締役(当時)が「土下座してなんとかなるものなら、いくらでもしますよ」と答えており、別の場で鈴木社長も記者に対し「交渉をやれるならやっている」と発言するなど、任天堂との関係修復は急務であった。 その後、経営悪化の責任を取る形でスクウェアの副社長を務めていた坂口博信が2001年2月に辞任、社長であった鈴木尚も同年12月に社長を辞任した。後任として社長に就任した和田洋一は成長戦略の一環として任天堂との取り引きを再開。2003年8月には、山内が設立した基金「ファンドQ」を用いて制作された『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』を発売、2005年10月には開発をスクウェア・エニックス、発売を任天堂が担当した『マリオバスケ 3on3』が発表され、スクウェア・エニックスから「これからも任天堂とがっちりコラボレートしていこうと思っている」との旨が語られた。その後もニンテンドーDS用ソフト『ファイナルファンタジーIII』(リメイク作品)などのヒット作が生まれ、一時は断絶関係にあった任天堂とスクウェア(現スクウェア・エニックス)の関係は修復している。 一方で、ドラゴンクエストシリーズがPSで発売された『ドラゴンクエストVII』、PS2で発売された『ドラゴンクエストVIII』のリメイクや、『ドラゴンクエストIX』以降のナンバリング最新作を任天堂ハードでも発売する中、ファイナルファンタジーシリーズはリメイク作品である『ファイナルファンタジーI・II アドバンス』、2019年にはNintendo Switch向けの移植として『ファイナルファンタジーVII』『ファイナルファンタジーIX』『ファイナルファンタジーX』『ファイナルファンタジーXII』などを発売してはいるが、『ファイナルファンタジーVII』以降のナンバリング最新作の任天堂ハード発売は大きく時期を隔てた。尚、『ファイナルファンタジーVIII』のリマスター版は他機種と同時発売している。
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