任天堂との共同開発とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 任天堂との共同開発の意味・解説 

任天堂との共同開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:00 UTC 版)

PlayStation (ゲーム機)」の記事における「任天堂との共同開発」の解説

久夛良木1987年6月16日から2泊3日にわたるソニー任天堂合同合宿に、スーパーファミコン開発一段落した1989年頃にも提案している。当時任天堂CD-ROM消極的で「ソニーさんでやってください」と返答している。丸山によれば久夛良木京都任天堂本社通っている間中CD-ROMでやるべきだ」と粘り強く進言続けた結果任天堂は「どうにもならないと思うが、CD-ROMをやっていい」とOK出した1989年4月テレビゲームではなく液晶画面持ったカセット式のハンディーゲームマシン「ゲームボーイ」が発売され大ヒットしていたが、ファミコン人気は既にピークを過ぎかけている事が前年実績から明らかになっていた。そして任天堂ファミコン後継機スーパーファミコン)の市場投入決意した事で、そこからソニーとの関係が始まった当時久夛良木業務用のデジタルビデオエフェクタ「システムG」をゲーム転用してビジネス出来ないかと考えていた。ただし、当時ソニー内ではソニーイメージ損なうとしてゲーム事業への進出反対する社員多く久夛良木自身も「異端児」と呼ばれており逆風強かった。この事業ゴーサイン出したのが当時社長大賀典雄である。 1989年10月から共同開発始まり、翌1990年1月1日には大賀典雄ソニー)と山内溥任天堂)の間で両社締結確認する合意文書作られた。開発コードネームは「プレイステーションであったプレイステーションという名称は久夛良木名付けた計画では、CD-ROMアダプタ玩具流通任天堂ブランド発売しスーパーファミコンCD-ROM一体型マシン家電流通でソニーブランドで発売することとなっていた。価格は49800円を予定していた。

※この「任天堂との共同開発」の解説は、「PlayStation (ゲーム機)」の解説の一部です。
「任天堂との共同開発」を含む「PlayStation (ゲーム機)」の記事については、「PlayStation (ゲーム機)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「任天堂との共同開発」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「任天堂との共同開発」の関連用語

任天堂との共同開発のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



任天堂との共同開発のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのPlayStation (ゲーム機) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS