任天堂とのつながり~プレステ開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:04 UTC 版)
「久夛良木健」の記事における「任天堂とのつながり~プレステ開発」の解説
ディスクシステムのフロッピーが気に食わなかったことから任天堂に売り込みをかける中で、同社とつながりを持つようになる。その後、任天堂へのPCM音源の売込みに成功し、更にはスーパーファミコン向けのCD-ROMアダプタ開発プロジェクトの中心人物になる。さらに紆余曲折を経て、社内ベンチャー・カーブアウトによりSCEを設立し、1994年にPlayStation(プレイステーション/プレステ)の発売を実現。その後のPlayStation 2などと併せて、ゲーム業界で記録的な大成功を収めた。任天堂の上村雅之は、任天堂がソニーと音源を共同開発する事に任天堂の社内外で数多上がった反対を押し切り共同開発を推進したが、当時ニンテンドー・オブ・アメリカ(NOA)の社長であった荒川實がそれを危惧、CD-i向けのゲームをフィリップスと共同開発することを土壇場で山内溥に強く進言した事から共同開発は決裂。その結果、プレステが生まれる事となった。
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