世界気象機関ができるまでの歴史
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「世界気象機関」の記事における「世界気象機関ができるまでの歴史」の解説
気象は人間の感覚が捉えられる範囲よりはるかに大きな現象であり、それを捉えるには大規模な気象観測網と時刻や項目、手法、単位などを統一した組織的な観測を必要とする。当初は各国で国内気象観測網の観測基準や観測時刻などの調整や標準化が行われた。ところが気象の解明や予測には国内観測だけでは不十分で、より広域の観測結果を得るために各国の観測結果の交換が必要となった。 気象分野での国際協力を目的とする最初の国際会合は、1853年にブリュッセルで開催された海洋の気象観測に関する会議だった。これはアメリカ海軍士官だったマシュー・モーリーが全ての国々の海軍と商船を対象にして呼びかけたものだったが、結局は海上の軍艦に対象が絞られた。ブリュッセル会議に参加した10か国の12人の代表のうち、数学者でベルギー王立気象台長のアドルフ・ケトレなど2人を除いて残りは海軍士官だった。ここで軍艦と自発的な商業船舶を対象とする気象観測結果の報告と、測定器や測定方法、報告様式の共通化が決定された 。 1871年に普仏戦争が終わったのを契機に、1872年8月にオランダの気象学者ボイス・バロットなど気象学者52人がドイツのライプチヒに集まって陸上の気象観測に関する初めての国際的な会合が開催された。この会合で測定器の較正と点検、観測時刻、尺度と単位の標準化、電報による情報の相互交換などが話し合われ、気象記号や一部の観測手法の標準化の必要性が合意された。ここで、翌年にウィーンで国際気象会議 (International Meteorological Congress) を政府間の公式会議として開催することが合意された。 初めての国際気象会議は1873年にウィーンで開催された。これには20か国から32名が参加した。この会議では測定器の較正と点検方法、観測時刻、尺度と単位、電報による情報の相互交換などが話し合われた 。この会議で、国際協力に関する問題をさらに検討するためには継続的な委員会が必要であることが認識され、ボイス・バロットなど各国の気象機関の長7名からなる常設委員会 (Permanent Meteorological Committee: PMC) が設立された。1878年10月にユトレヒトで行われた4回目のPMCで、国際的な協力のための機構として国際気象機関 (International Meteorological Organization: IMO) を設置することが決められた 。 第2回国際気象会議は1879年4月にローマで開催された。イタリア政府が主催したこの会議には18か国の政府の代表として40名の著名な気象学者などの科学者が出席した 。この会議でIMOが設立されることが承認され、その主な構成は重要な決定を行う長官会議 (Conference of Directors: CD)、常設委員会 (PMC) から変わった国際気象委員会 (International Meteorological Committee: IMC)、執行理事会 (Executive Council: EC) からなることが決まった。 実質的な運営母体であるIMCは25名の委員とIMO総裁を兼ねた委員長からなり、その役目はこの機関の管理とCDでの決定事項の実施の監督だった。この会議では次の国際気象会議の開催を計画したが、各国政府はその開催に消極的だった。IMCは1891年に第1回のCDをミュンヘンで開催することにしたが、各国政府の意向を受けて、政府代表ではなく著名な気象学者の自主的な会合として開催された。そのためIMOは、その後70年間にわたって国際的な拘束力のない非政府間組織となった。 ミュンヘンのCDで、気象のそれぞれの分野を取扱うための専門委員会 (Technical Commissions: TC) が設立された。これらの委員会がその分野の実質的な作業を担った。このスタイルは世界気象機関 (WMO) となっても続けられた。 IMOは国際条約によって批准された政府間組織ではなかったため、CDで行われた決議には国際的な拘束力はなかった。そのためIMOを国際条約に基づく国際機関にすることが1935年のワルシャワでのCDの頃から検討され始めたが、実現を見ないうちに第二次世界大戦が始まった。IMOの加盟国は1939年には93か国に達していた。 第二次世界大戦の終了後、中断していた気象観測の国際協力を直ちに復活させる必要があったため、1946年2月にロンドンでCDが開催された。そこでの最大の焦点は気象観測に関する戦後の国際協力体制のあり方をどうするかであった。このCDではIMCに気象観測の国際協力のための組織を政府間組織にする検討を要請した。 それを受けて1946年6月のパリで開かれたIMCの会合で、世界気象機関条約の草案が作成された。1947年9月から10月にかけて行われたワシントンでのCDで、世界気象機関条約が合意され、新しい組織は国際連合の中の機関の1つになった。世界気象機関条約は1947年10月に調印され、1950年3月23日に発効した。1951年3月に最後のCDが開催され、非政府間組織であったIMOは、1951年3月17日に国際連合の中の専門機関として世界気象機関 (WMO) となった。
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