世界気象機関ができるまでの歴史とは? わかりやすく解説

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世界気象機関ができるまでの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:00 UTC 版)

世界気象機関」の記事における「世界気象機関ができるまでの歴史」の解説

気象人間感覚捉えられる範囲よりはるかに大きな現象であり、それを捉えるには大規模な気象観測網と時刻や項目、手法単位などを統一した組織的な観測を必要とする。当初各国国内気象観測網の観測基準観測時刻などの調整標準化が行われた。ところが気象解明予測には国内観測だけでは不十分で、より広域観測結果を得るために各国観測結果交換が必要となった気象分野での国際協力目的とする最初国際会合は、1853年ブリュッセル開催され海洋気象観測に関する会議だった。これはアメリカ海軍士官だったマシュー・モーリーが全ての国々海軍商船対象にして呼びかけたものだったが、結局は海上軍艦対象絞られた。ブリュッセル会議参加した10か国の12人の代表のうち、数学者ベルギー王気象台長のアドルフ・ケトレなど2人除いて残り海軍士官だった。ここで軍艦自発的な商業船舶対象とする気象観測結果報告と、測定器測定方法報告様式共通化決定された 。 1871年普仏戦争終わったのを契機に、1872年8月オランダ気象学者ボイス・バロットなど気象学者52人がドイツライプチヒ集まって陸上気象観測に関する初めての国際的な会合開催された。この会合測定器較正点検観測時刻尺度単位標準化電報による情報相互交換などが話し合われ気象記号や一部の観測手法の標準化必要性合意された。ここで、翌年ウィーン国際気象会議 (International Meteorological Congress) を政府間の公式会議として開催することが合意された。 初めての国際気象会議1873年ウィーン開催された。これには20か国から32名が参加した。この会議では測定器較正点検方法観測時刻尺度単位電報による情報相互交換などが話し合われた 。この会議で、国際協力に関する問題をさらに検討するためには継続的な委員会が必要であることが認識されボイス・バロットなど各国の気象機関の長7名からなる常設委員会 (Permanent Meteorological Committee: PMC) が設立された。1878年10月ユトレヒト行われた4回目PMCで、国際的な協力のための機構として国際気象機関 (International Meteorological Organization: IMO) を設置することが決められた 。 第2回国際気象会議1879年4月ローマで開催された。イタリア政府主催したこの会議には18か国の政府代表として40名の著名な気象学者などの科学者出席した 。この会議IMO設立されることが承認され、その主な構成重要な決定を行う長官会議 (Conference of Directors: CD)、常設委員会 (PMC) から変わった国際気象委員会 (International Meteorological Committee: IMC)、執行理事会 (Executive Council: EC) からなることが決まった実質的な運営母体であるIMC25名の委員IMO総裁兼ねた委員長からなり、その役目はこの機関管理CDでの決定事項実施監督だった。この会議では次の国際気象会議開催計画したが、各国政府はその開催消極的だったIMC1891年第1回CDミュンヘン開催することにしたが、各国政府意向受けて政府代表ではなく著名な気象学者自主的な会合として開催された。そのためIMOは、その後70年間にわたって国際的な拘束力のない非政府間組となったミュンヘンCDで、気象それぞれの分野取扱うための専門委員会 (Technical Commissions: TC) が設立された。これらの委員会その分野の実質的な作業担った。このスタイル世界気象機関 (WMO) となって続けられた。 IMO国際条約によって批准され政府間組織ではなかったため、CD行われた決議には国際的な拘束力はなかった。そのためIMO国際条約に基づく国際機関にすることが1935年ワルシャワでのCDの頃から検討され始めたが、実現見ないうちに第二次世界大戦始まったIMO加盟国1939年には93か国に達していた。 第二次世界大戦終了後中断していた気象観測国際協力直ち復活させる必要があったため、1946年2月ロンドンCD開催された。そこでの最大焦点気象観測に関する戦後国際協力体制あり方どうするであった。このCDではIMC気象観測国際協力のための組織政府間組織にする検討要請した。 それを受けて1946年6月パリ開かれたIMC会合で、世界気象機関条約草案作成された。1947年9月から10月にかけて行われたワシントンでのCDで、世界気象機関条約合意され新しい組織は国際連合の中の機関1つになった世界気象機関条約1947年10月調印され1950年3月23日発効した1951年3月最後CD開催され非政府間組であったIMOは、1951年3月17日国際連合の中の専門機関として世界気象機関 (WMO) となった

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