ミュージシャンとしてのキャリア
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「ジョニー・スミス (ジャズ・ギタリスト)」の記事における「ミュージシャンとしてのキャリア」の解説
ジョニー・スミスは、多様性をもったミュージシャンであり、有名なジャズ・クラブであったバードランドでの演奏も、ニューヨーク・フィルハーモニックのオーケストラピットで楽譜を読みながらの演奏も、同じように自在にこなした。シェーンベルクからガーシュウィンまでの作品を演奏したスミスは、1950年代において最も多才なギタリストのひとりであった。 1946年から1951年にかけては、NBCのスタッフとしてスタジオ・ギタリスト、編曲者を務め、以降はフリーランスとして1958年までこの仕事を続け、ソロからフル・オーケストラまで、また、モート・リンゼイ(英語版)、アーロ・ハルツ (Arlo Hults) と組んだトリオ「ザ・プレイボーイズ (The Playboys)」と、様々な演奏形態で演奏した:26。 スミスの演奏は、クローズポジション・コード (closed-position chord) のヴォイシングと、素早く上昇していくライン(ジャンゴ・ラインハルトにも似ているが、半音階によるより、全音階(英語版)を基にしていることが多い)が特徴となっている。有名な1952年に吹き込んだ演奏以降、1960年代にかけて、彼はルースト・レコードに録音を残し、もっぱらこの時期の演奏によって名声を築くことになった。後にはモザイク・レコードが、ルーストの音源の大部分をCD8枚組のセットにして発売した。 1952年に出たシングル「Moonlight in Vermont」は、『ダウン・ビート』誌がレコード・オブ・ザ・イヤーの第2位に選んだ。スタン・ゲッツをフィーチャーした「Moonlight in Vermont」は、当初は1953年に出た10インチLP『Jazz at NBC』(Roost RLP 410)の収録曲として発表されたが、後には、いち早く1952年に出ていた内容が異なる同名の10インチLP『Jazz at NBC』(Roost RLP 413) の内容と合わせて編集された1956年の12インチLP『Moonlight in Vermont』のタイトル曲となった。 彼の作曲作品として最も有名なのは、1954年の「急がば廻れ」であるが、これはあるレコーディング・セッション用に、「朝日のごとくさわやかに (Softly, as in a Morning Sunrise)」のコード展開に基づく対旋律(英語版)として書かれたものである。ギタリストのチェット・アトキンスは、この曲をカバーし、新古典派的な装いを与えてエレクトリック・ギターで演奏し、アルバム『Hi-Fi in Focus』に収録したが、これは後のザ・ベンチャーズによるヒットに3年先んじていた。アトキンスは、(スミスとは異なる)指使いをしており、ベース音のA-G-F-Eの動きもそうであるが、これは後のベンチャーズの編曲の元となった。ベンチャーズを結成することになるメンバーたちは、アトキンスのバージョンを聴き、これを単純化して速度を上げ、1960年に吹込みをした。ベンチャーズ盤は1960年9月に、『ビルボード』誌のトップ100で最高2位まで上昇した。 1957年、スミスは、二人目の子どもとともに、妻を産褥死で失った。彼は、幼い娘を一時的に預けるため、コロラドスプリングスの母の元に送ったが、翌年にはニューヨークでの多忙な演奏の仕事を捨てて、娘のいるコロラド州へと移り住んだ。当地では、楽器店を営みながら、音楽を教え、娘を育て、さらに1960年代まで、ロイヤル・ルーストやヴァーヴ・レコードのためにアルバムを吹き込んだ。『ニューヨーク・タイムズ』紙の死亡記事によると、彼は2001年に、『Colorado Springs Independent』紙の取材に、次のように語っていたという。「結局、すべては、僕が娘を愛し過ぎていて、自分のキャリアのために娘を危うい状態にできないと思った、というところから始まったんだ。もちろん、理由はほかにもある。ニューヨークは音楽という面では愛していたけど、生活するのは嫌だった。」この死亡記事で、『ニューヨーク・タイムズ』紙は、次のようにも記している。「スミスはその後も吹込みを続け、時にはコロラドのナイトクラブで演奏もしたが、ほとんどすべての巡業の誘いを断っていた。例外のひとつだったのは、ビング・クロスビーのツアーで、スミスはクロスビーとともに1977年にイングランドでのツアーに出かけたが、このツアーは、クロスビーが死去したため短い日程で打ち切られた。」
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ミュージシャンとしてのキャリア
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「バーニー・ウィリアムス」の記事における「ミュージシャンとしてのキャリア」の解説
野球での才能の他に、ウィリアムスはミュージシャンとしての力量も高く評価されている。「小さい頃は野球選手よりもプロの音楽家になりたかった」と述べ、ギター演奏の他に作曲も行う。ジャンルはジャズ(スムーズ・ジャズ)、クラシック、ポップ、ブラジル系、そしてラテン音楽などと非常に多種多様である。 2003年7月15日に、コンテンポラリー・ジャズのレーベル「GRPレコード」より、メジャー・デビュー・アルバム『ザ・ジャーニー・ウィズイン (The Journey Within)』を発売。彼のスムーズ・ジャズに対する想いが、サルサなど故郷プエルトリコのリズムに乗って垣間見える一枚となっている。本人の腕前もさることながら参加アーティストの顔ぶれもスムーズ・ジャズのトップ・ミュージシャンばかりで非常に豪華であり、ルーベン・ブラデス(2003年にグラミー賞を受賞)やデヴィッド・サンシャス、リーランド・スカラーといったメンバーも参加している。
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