ミュージカル黄金期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 15:20 UTC 版)
「シド・チャリシー」の記事における「ミュージカル黄金期」の解説
当時のMGMの二枚看板はフレッド・アステアとジーン・ケリーだったが、チャリシーはその二人の相手役をつとめる幸運に恵まれた。 チャリシーが初めてアステアと共演したのは、短編映画『ジーグフェルド・フォリーズ』(1946)。二度目の共演作『バンド・ワゴン』(1953)ではヒロインに扮し、彼女とアステアのダンスは絶賛された。1957年、チャリシーは再びアステアと組み、『絹の靴下』に出演。これはグレタ・ガルボ主演映画『ニノチカ』(1939)のミュージカル版リメイク作品であり、彼女はガルボの有名な役を演じた。アステアは彼の自伝でチャリシーに惜しみない賛辞を送っている。 ジーン・ケリーとは『雨に唄えば』(1952)で初共演し、『ブリガドーン』では準主役で出演。『いつも上天気』(1956)では、ケリーと並んで主役をつとめた。 1952年には、チャリシーの美しい脚に500万ドルの保険が掛けられて話題となった。この保険金額は、それまでのベティ・グレイブルの記録を抜いてハリウッド史上ナンバーワンとなった。
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