ミュージカル転向 - 解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:27 UTC 版)
「松竹歌劇団」の記事における「ミュージカル転向 - 解散」の解説
その後、ミュージカル劇団化への準備に入り、『コーラスライン』のツアー公演演出などを担当したバーヨーク・リーをブロードウェイより招き、さらにバレエの牧阿佐美や劇団四季からの指導も仰いだ。しかし先行き不透明な状況もあり、さらなる退団者が続出し、準備期間中に団員は38名まで減少した。 1992年3月10日、ミュージカル転向後の初公演『賢い女の愚かな選択』を池袋サンシャイン劇場で上演。以後定期的に公演を行い、団員の実力については高評価を得た。しかし男役を廃して作品ごとに外部から男性俳優を招くようになって劇団の体裁は崩れ、また同様に演出家も作品ごとに外部から招聘していたため制作方針も定まらず、1995年5月時点で団員は18名まで減少した。 1996年6月14日、松竹土地興行は在団中の16名に対し、6月以降の出演契約を結ばないことを通達。これをもって松竹歌劇団は解散することになった。解散公演がなかったことから、甲斐京子、西紀佐江子、紅エミら16名の最終メンバーが銀座博品館劇場で自主公演『FROM SKD』を行った。 その後、元トップスターの千羽ちどりなどにより結成された「STAS」や、同じくOG発の「薔薇笑亭SKD」といった劇団が「レビューの継承」を謳い活動を続けている。
※この「ミュージカル転向 - 解散」の解説は、「松竹歌劇団」の解説の一部です。
「ミュージカル転向 - 解散」を含む「松竹歌劇団」の記事については、「松竹歌劇団」の概要を参照ください。
- ミュージカル転向 - 解散のページへのリンク