ミューオンしょくばい‐かくゆうごう〔‐カクユウガフ〕【ミューオン触媒核融合】
ミューオン触媒核融合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/07 10:20 UTC 版)
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ミューオン触媒核融合(ミューオンしょくばいかくゆうごう、Muon-catalyzed fusion)とは、ミュー粒子(μ-、負の電荷を持ち負ミューオンとも呼ばれる)が媒介となって起きる、水素およびその同位体(重水素、三重水素)間での核融合反応のこと[1][2]。
原理
負ミューオンは電子の約200倍の質量を持ち、物質中ではプラスの電気をもった原子核と束縛状態を形成する。このような状態はミュオニック原子と呼ばれ、負ミューオンの束縛軌道半径(ボーア半径)は電子のそれの200分の1まで接近しており、周りの軌道電子からみるとあたかも原子核の電荷が一単位電荷分だけ遮蔽されて減少したように見える。これは、水素およびその同位体にとっては核の電荷が中性になったことを意味し、他の(負ミューオンを捕獲していない)水素同位体はこのような「ミュオニック水素」に対して負ミューオンの束縛軌道半径程度にまで接近することができるようになる。
特に重水素、あるいは重水素と三重水素の混合物に負ミューオンを照射すると、このように接近した水素核同士は高い確率で核融合反応を起こしてヘリウム核を生成するとともに、反応エネルギーを中性子として放出する。このとき負ミューオンは再度自由になり、新たにミュオニック水素を形成して次の核融合反応を媒介する。この過程は負ミューオンが自然崩壊(平均寿命2.2マイクロ秒)するまで循環的に起き、あたかもミューオンが核融合を「触媒」しているように振る舞う[1]。
特徴
熱核融合反応と異なり、μ触媒核融合では重水素、三重水素を高温プラズマ状態にする必要はなく、トカマク型炉のようにそれらを閉じ込めておくための大掛かりな閉じ込め磁場装置なども不要である(実際のμ触媒核融合実験は低温で液化した重水素、三重水素の混合物に負ミューオンを照射することで行われている)。一方、負ミューオンの生成には陽子加速器施設(中間子工場)を必要とするため、そのエネルギーコストまで考慮した場合、ミューオン生成エネルギーと核融合により取り出されるエネルギーが釣り合う(科学的ブレークイーブン)ためには、一個の負ミューオンが300回程度の核融合反応を媒介する必要がある(さらにμ触媒核融合炉によるエネルギー生産を行うためには最低500回)と言われている。
この点、今まで試みられた一連の実験において、一個の負ミューオンが媒介する核融合反応は最高で150回程度に留まっている。現在、その律速過程として核反応生成物であるヘリウム核に負ミューオンが束縛される(すなわちミュオニックヘリウム原子ができる)過程が重要であることまでは分かっているが、この壁をどのように乗り越えるかについては未だに模索中の段階であるといえる(ヘリウム核は電荷+2eであるため水素同位体より負ミューオンを引きつけやすく、一旦ヘリウム核に束縛された負ミューオンは再度解放される確率が極めて小さいことが知られている)。
フィクション
アーサー・C・クラークの小説『2061年宇宙の旅』(『2001年』『2010年』の続編)では、ミューオン触媒核融合のエネルギーで推進剤を加速して噴射・推進する宇宙船が登場する。この「ミューオン駆動」の発明者はアンドレイ・サハロフとされているが、彼は現実にミューオン触媒核融合にかかわる研究に取り組んでいた[要出典]。
バンダイナムコゲームス(現バンダイナムコエンターテインメント)のフライトSLG「エースコンバットX スカイズ・オブ・デセプション」に登場するオーレリア連邦共和国は、将来のエネルギー源としてミューオン触媒核融合炉の研究を推進しており、その一環として首都グリズウォールに巨大シンクロトロン施設「アトモスリング」を建設している。劇中でオーレリアに侵攻したレサス民主共和国軍は、グリズウォール占領後、同地の拠点防衛用にアトモスリングを利用した荷電粒子砲「メソン・カノン」を建造した。
2018年9月にリリースされたMoe Fantasyの艦船擬人化海戦SLG『蒼青のミラージュ』では、NeoForce母艦の機関としてミューオン触媒核融合炉が使用されている[3]。
出典
- ^ a b 『現代物理学[基礎シリーズ]8 原子核物理学』朝倉書店、2013年、33-34頁。ISBN 978-4-254-13778-1。
- ^ “ミュオンとは ミュオン科学研究系”. Institute of Materials Structure Science. 2017年8月3日閲覧。
- ^ “蒼青のミラージュ 世界観”. 蒼青のミラージュ 世界観. 2018年8月9日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 吉原賢二、「ミューオン触媒核融合」 『日本原子力学会誌』 1983年 25巻 4号 p.239-243, doi:10.3327/jaesj.25.239, 日本原子力学会
- 渡辺正、「常温核融合騒ぎの顛末(疑似科学を通して考える)」 『化学と教育』 2001年 49巻 11号 p.688-691, doi:10.20665/kakyoshi.49.11_688, 日本化学会
ミューオン触媒核融合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 23:13 UTC 版)
「スティーブン・ジョーンズ」の記事における「ミューオン触媒核融合」の解説
1980年代半ば、ジョーンズおよび他のBYU科学者は、彼がサイエンティフィック・アメリカンの記事で冷核融合(cold nuclear fusion)と呼んだものに取り組んだ(この反応は、現在では、ユタ大学のスタンレー・ポンズとマーティン・フライシュマンによって提案された低温核融合(cold fusion)との混同を避けるため、ミューオン触媒核融合として知られる)。ミューオン触媒核融合は、1980年代に潜在的なエネルギー源として関心のある分野であったが、そのエネルギーが低出力になることは不可避であると言われる(アルファ-ミュオン付着損失のため)。ジョーンズは、1986年には研究チームを率いて、1ミュオンあたり(平均)150の核融合を達成し、1ミュオンあたり2,600 MeVを超える核融合エネルギーを放出するという記録を立てた。 類似した研究をしていたスタンレー・ポンズとマーティン・フライシュマンはジョーンズとほぼ同時期に研究を始めていたが、そのことをジョーンズは、DOEに自身の研究について研究資金を申請し、DOEがそれに対して提案と査読結果を送付した際に知ることととなった。研究内容が類似していることを知った彼とポンスとフライシュマンは、彼らの論文を同じ日にネイチャーに発表することに同意した(1989年3月24日)。しかし、ポンスとフライシュマンは、ジョーンズが論文をネイチャーにファックス送信する前の日に、記者会見でその結果を発表することとなった。 1989年3月23日のマーティン・フライシュマンとスタンレー・ポンズによる常温核融合現象発見の記者発表ののち、パラジウム・チタンと金とを電極に用いた重水液の電解実験についての論文を科学雑誌『ネイチャー』同年4月27日号に発表、極めて微量の中性子の発生を報告し、重水素同士が反応する常温核融合が起きたと結論づけた。 ニューヨーク・タイムズの報告によると、論文の査読者はポンスとフライシュマンの研究に対しては厳しく批判的であったが、ジョーンズの著しく控えめで理論的にしっかりした論文の調査結果に対してはそこまで批判的ではなかったという。批判者は、ジョーンズの結果は多分実験誤差によって引き起こされたものであり、査読した物理学者の大部分は、ジョーンズは注意深い科学者だった主張した。その後の追試は、ジョーンズの金属に関する「常温核融合」(geo-fusion)の論文を支持した。 物理学者戸塚洋二の招きに応じて1991年1月に来日、カミオカンデでの常温核融合実験に参加した。 2013年7月、ジョーンズはミズーリ大学で開催された第18回凝縮物質核科学国際会議で、「2つの異なる影響の経験的証拠:金属における低レベルのDD反応と異常な過剰熱」と題したポスター講演を行った。
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