ミューオンしょくばい‐かくゆうごう〔‐カクユウガフ〕【ミューオン触媒核融合】
ミューオン触媒核融合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/15 05:22 UTC 版)
ミューオン触媒核融合(ミューオンしょくばいかくゆうごう、Muon-catalyzed fusion)とは、ミュー粒子(μ-、負の電荷を持ち負ミューオンとも呼ばれる)が媒介となって起きる、水素およびその同位体(重水素、三重水素)間での核融合反応のこと[1][2]。
- ^ a b 『現代物理学[基礎シリーズ]8 原子核物理学』朝倉書店、2013年、33-34頁。ISBN 978-4-254-13778-1。
- ^ “ミュオンとは ミュオン科学研究系”. Institute of Materials Structure Science. 2017年8月3日閲覧。
- ^ “蒼青のミラージュ 世界観” (日本語). 蒼青のミラージュ 世界観. 2018年8月9日閲覧。
- 1 ミューオン触媒核融合とは
- 2 ミューオン触媒核融合の概要
- 3 出典
ミューオン触媒核融合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 23:13 UTC 版)
「スティーブン・ジョーンズ」の記事における「ミューオン触媒核融合」の解説
1980年代半ば、ジョーンズおよび他のBYU科学者は、彼がサイエンティフィック・アメリカンの記事で冷核融合(cold nuclear fusion)と呼んだものに取り組んだ(この反応は、現在では、ユタ大学のスタンレー・ポンズとマーティン・フライシュマンによって提案された低温核融合(cold fusion)との混同を避けるため、ミューオン触媒核融合として知られる)。ミューオン触媒核融合は、1980年代に潜在的なエネルギー源として関心のある分野であったが、そのエネルギーが低出力になることは不可避であると言われる(アルファ-ミュオン付着損失のため)。ジョーンズは、1986年には研究チームを率いて、1ミュオンあたり(平均)150の核融合を達成し、1ミュオンあたり2,600 MeVを超える核融合エネルギーを放出するという記録を立てた。 類似した研究をしていたスタンレー・ポンズとマーティン・フライシュマンはジョーンズとほぼ同時期に研究を始めていたが、そのことをジョーンズは、DOEに自身の研究について研究資金を申請し、DOEがそれに対して提案と査読結果を送付した際に知ることととなった。研究内容が類似していることを知った彼とポンスとフライシュマンは、彼らの論文を同じ日にネイチャーに発表することに同意した(1989年3月24日)。しかし、ポンスとフライシュマンは、ジョーンズが論文をネイチャーにファックス送信する前の日に、記者会見でその結果を発表することとなった。 1989年3月23日のマーティン・フライシュマンとスタンレー・ポンズによる常温核融合現象発見の記者発表ののち、パラジウム・チタンと金とを電極に用いた重水液の電解実験についての論文を科学雑誌『ネイチャー』同年4月27日号に発表、極めて微量の中性子の発生を報告し、重水素同士が反応する常温核融合が起きたと結論づけた。 ニューヨーク・タイムズの報告によると、論文の査読者はポンスとフライシュマンの研究に対しては厳しく批判的であったが、ジョーンズの著しく控えめで理論的にしっかりした論文の調査結果に対してはそこまで批判的ではなかったという。批判者は、ジョーンズの結果は多分実験誤差によって引き起こされたものであり、査読した物理学者の大部分は、ジョーンズは注意深い科学者だった主張した。その後の追試は、ジョーンズの金属に関する「常温核融合」(geo-fusion)の論文を支持した。 物理学者戸塚洋二の招きに応じて1991年1月に来日、カミオカンデでの常温核融合実験に参加した。 2013年7月、ジョーンズはミズーリ大学で開催された第18回凝縮物質核科学国際会議で、「2つの異なる影響の経験的証拠:金属における低レベルのDD反応と異常な過剰熱」と題したポスター講演を行った。
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