マラソン挑戦後
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初マラソンは2015年3月8日の名古屋ウィメンズマラソンで、国内招待選手として出場。序盤からハイペースの先頭集団へ果敢についていったが、15Km過ぎの給水地点で、前田彩里(ダイハツ工業)との手足が交錯し、転倒してしまうアクシデントが発生。この影響で右太腿を痛めたのが尾を引き、中間点過ぎ付近から集団についていけずに脱落。レース後半は大幅にペースダウンとなり、ゴールタイムは3時間を超える総合119位の惨敗だった。 2回目のマラソンとなった2016年3月13日の名古屋ウィメンズマラソンへ、2年連続して国内招待選手で出場。レース序盤から30Km地点辺りまで、積極的に優勝争いの集団へ加わった。30Kmを過ぎた後、ロングスパートで突き放し優勝したユニスジェプキルイ・キルワ(バーレーン)と2位の田中智美(第一生命保険)に一旦離されるも、その後37Km付近で田中に追いついた。それ以降は二人の激しい一騎討ちとなったが、ゴール地点直前のナゴヤドーム入口付近で、ラストスパートを仕掛けた田中に先を越されてしまう。惜しくも田中とは1秒の僅差で、2時間23分20秒と自己記録を大幅に更新したが総合3位(日本人2位)、リオデジャネイロオリンピック女子マラソン日本代表の座をあと一歩で逃し、さらに天満屋所属選手の五輪女子マラソン種目の代表入りも4大会連続でストップとなった。 同マラソンゴール直後の小原は倒れ込み悔し涙を流したが「(日本人)1番以外は違うのは十分分かっている」と結果を受け止め「去年はマラソンの厳しさを知り、今年は勝負の詰めを経験させてもらった。次は10000mでリオ五輪を狙う」と気丈にコメントし気持ちを切り替えていた。だが、同年6月24日の第100回日本陸上選手権・女子10000mは結局10位(32分30秒66)に終わり、リオ五輪・女子長距離走代表も選出されなかった。 2017年3月12日の名古屋ウィメンズマラソンへ、世界陸上ロンドン大会女子マラソン日本代表選出を目指していたが、2月下旬の米国高地合宿中に左足小指の付け根に痛みを訴え、帰国後疲労骨折の診断が下されて欠場となった。 2018年3月11日の名古屋ウィメンズマラソンへ、2年振り3度目の出場に。中間点付近まではペースメーカーが先導する先頭集団についていったものの、23Km過ぎで優勝争いから離脱。その後も数人の日本女子選手に追い抜かれ、結局2時間27分台の総合8位・日本人5着に留まり、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC・2020年東京オリンピック女子マラソン選考会)出場権獲得にはあと一歩届かなかった。 2018年9月16日のベルリンマラソンへ、自身初の海外フルマラソンに挑戦。日本女子首位の松田瑞生(ダイハツ工業)にはついていかず、天満屋のチームメイト・前田穂南と共に中間点過ぎ迄並走。だが中間点過ぎで前田から徐々に遅れてゆき、レース終盤では初マラソンの上原美幸(第一生命保険)にも追い越され、結果2時間27分台の10位・日本女子4着だった。それでも、前回名古屋ウィメンズマラソンと上位2記録・平均2時間28分以内の「ワイルドカード」(女子マラソン)の資格をクリアした為、翌2019年9月開催予定のMGC出場権を獲得した。 2019年1月27日開催の大阪国際女子マラソンに初めて出走。ペースメーカーが5Km毎約17分の先頭集団へ、小原は順調についていった。30Km地点でペースメーカーが離脱した後の給水所付近で、小原自ら積極的にトップに躍り出て、優勝争いは3人に絞られる。だが38Km過ぎで、優勝したファツマ・サド(エチオピア)から徐々に遅れ始め、結果日本人首位となる2時間25分台の2位でフィニッシュを果たしたが、自身念願のマラソン初優勝は7秒差で惜しくも成らなかった。尚、12.7Km地点で福士加代子(ワコール)が転倒した事に気付いた小原は、レース後に「ビックリしたがすぐに追いついてきた。私も(名古屋ウィメンズで)こけた経験があるので『福士さん頑張れ!』と思いながら走っていた。」と、35Km過ぎで途中棄権した福士を気遣いつつコメントしていた。 2019年9月15日、マラソン・グランドチャンピオンシップに出場。気温25度を超える高温の中ハイペースの先頭集団についていったが、18.5Km地点で優勝争いから脱落。それ以降小原は、3位の位置で単独走となった。36Km地点では単独2位の鈴木亜由子(日本郵政グループ)と1分近い差をつけられたが、そこから小原は追い上げを開始。41Km地点では鈴木と28秒の差に詰め、ゴール手前では極端にペースが落ちた鈴木を必死に肉迫したものの、結果2位に入り東京五輪内定と成った鈴木とは4秒の僅差で惜しくも敗れ、2時間29分台の3位でゴール。小原の東京五輪・女子マラソン代表選出は叶わず、「またやらかした」と悔しさをにじませた。 それでも、MGCファイナルチャレンジ(2019年さいたま国際・2020年大阪国際女子・2020年名古屋ウィメンズ)で設定記録(2時間22分22秒)を突破する日本女子選手が現れなければ、MGC3位の小原が東京五輪代表に選ばれる状況にあった。だが、2020年1月26日に開催された大阪国際女子マラソンは、松田瑞生が2時間21分47秒のゴールタイムで優勝、設定記録を上回ったため、この時点で小原が女子マラソン3人目の五輪代表入りが事実上消滅した。なお、同大会は小原も出場したものの16Km過ぎで松田らの先頭集団から後退、2時間28分台の13位に終わった。ゴール会場のヤンマースタジアム長居(長居陸上競技場)に入った直後、電光掲示板で松田の優勝タイムを初めて知った際「頭が真っ白になった」と大きなショックを受けたという。さらに、2020年3月8日開催の名古屋ウィメンズマラソンでは、一山麻緒(ワコール)が松田の記録を1分以上更新する、2時間20分29秒のゴールタイムで優勝。これにより、一山が3番手での東京五輪・女子マラソン代表が決定し、MGC3位の小原と、MGC4位の松田がそれぞれ補欠での選出と成った。
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