文化露寇とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 文化露寇の意味・解説 

文化露寇

(フヴォストフ事件 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 03:21 UTC 版)

文化露寇(ぶんかろこう)は、文化3年(1806年)と文化4年(1807年)にロシア帝国から日本へ派遣された外交使節だったニコライ・レザノフが部下に命じて日本側の北方の拠点を攻撃させた事件[1]。事件名は日本の元号に由来し、ロシア側からはフヴォストフ事件ロシア語: Инцидент Хвостова)とも呼ばれる。


注釈

  1. ^ レザノフは同様の意見書をロシア皇帝にいったん上奏したが、のちに撤回した。
  2. ^ 幕府は享和2年(1802年)に箱館奉行を置いたが、文化4年(1807年)に西蝦夷地の松前藩領も召し上げて、松前に奉行所を移した。

参照

  1. ^ a b c d “ロシアに眠る幕府の大砲 江戸後期の紛争略奪品・東大調査”. 朝日新聞. (2010年9月6日). オリジナルの2016年12月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161220161251/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201009060087.html 
  2. ^ 子孫による編著『私残記 大村治五平に拠るエトロフ島事件』(森荘已池中公文庫、1977年、復刊1991年)がある。
  3. ^ 保谷徹 「ロシアに持ち去られたフランキ砲の謎」(東京大学史料編纂所編 『日本史の森をゆく』 中央公論新社中公新書2299〉、2014年12月20日、pp.90-94、ISBN 978-412-102299-8


「文化露寇」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「文化露寇」の関連用語

文化露寇のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



文化露寇のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの文化露寇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS