通訳教育、間宮林蔵の来訪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 06:53 UTC 版)
「ゴローニン事件」の記事における「通訳教育、間宮林蔵の来訪」の解説
幕府はゴローニンらに通訳へのロシア語教育を求め、上原熊次郎、村上貞助(むらかみ・ていすけ)、馬場貞由、足立信頭らがロシア語を学んだ。 そのほか学者などが獄中のゴローニンらを訪問しているが、その中に間宮林蔵もいた。林蔵は、壊血病予防の薬としてレモンやみかん、薬草を手土産に、六分儀や天体観測儀、作図用具などを持ち込んで、その使用方法を教えるよう求めた。また、林蔵は毎日、朝から晩まで通っては鍋や酒を振る舞い、自分の探検や文化露寇の際の武勇談を自慢して、ゴローニンに「彼の虚栄心は大変なもの」と評された。なお林蔵はロシア人を疑っており、ゴローニンらをスパイであると奉行に進言し江戸に報告書を送っていたと、ゴローニンは記している。
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