通訳官に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:21 UTC 版)
1865年(慶応元年)4月、通訳官に昇進。このころから伊藤や井上馨との文通が頻繁になる。この往復書簡で、長州藩の内情や長州征討に対するイギリス公使館の立場などを互いに情報交換した。サトウはこのころから「薩道愛之助」「薩道懇之助」という日本名を使い始めた。10月には新駐日公使ハリー・パークスの箱館視察に同行した。11月、下関戦争賠償交渉のための英仏蘭三国連合艦隊の兵庫沖派遣に同行し、神戸・大坂に上陸、薩摩藩船・胡蝶丸の乗組員(西郷隆盛も来船したが、偽名を使っていた)と交わった。このころから、日本語に堪能な英国人として、サトウの名前が広く知られるようになった。
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