フレンチコネクションとは? わかりやすく解説

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フレンチ・コネクション

フレンチ・コネクション フレンチ・コネクション
 レシピ
フレンチ・コネクション
■  クルボアジェ VSOPルージュ
(COURVOISIER VSOP ROUGE)
45ml
フレンチ・コネクション
フレンチ・コネクション
フレンチ・コネクション
■  ディサローノ アマレット
(AMARETTO DISARONNO)
15ml
フレンチ・コネクション
フレンチ・コネクション
フレンチ・コネクション

 作り方
フレンチ・コネクション
氷を入れたロック・グラス注ぎ軽くステアする。


※レシピの分量表記について
フレンチ・コネクション
カクテルタイプ:ロング
グラスロック・グラス
テイスト甘口
色:茶色琥珀色
アルコール度数:強い(25度以上)
製法ビルド

ワンポイント
フレンチ・コネクション
1971年公開されアメリカ映画ジーン・ハックマン主演の「フレンチコネクション」にちなん命名されカクテルイタリア代表するリキュールアマレット」と香り高いブランデーグラスの中で見事にマッチしている。甘口で、ナイトキャップにぴったりのカクテルである。

ベースブランデーには「クルボアジェ VSOPルージュ」を。エレガントなボトル描かれ一輪赤いバラは、バラ愛好家であったナポレオンの妻、ジョセフィーヌイメージしたもの。華やかな香り高さと、なめらかにのどを通り過ぎ飲みやすさが特徴VSOPとは、ブランデー熟成年数によって定められ基準のひとつで、最低でも5年以上熟成した原酒ブレンドしつくられたことを表している。

1525年、イタリア・ミラノ市郊外、サローノ誕生したディサローノ アマレット」は、世界で500種以上もあるアマレットリキュールの元祖である。ディサローノは、あんずの、ヴァニラビーンズから浸出し100%ナチュラル抽出液が原料。これにスピリッツ秘密のナチュラルハーブなどを加え絶妙ブレンド技術により生み出されている。

ベースブランデーウイスキーにかえると「ゴッド・ファーザー」、ウオツカにかえると「ゴッド・マザー」になる。

フレンチコネクション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/29 09:46 UTC 版)

フレンチコネクション

フレンチコネクション(French Connection)は、かつて存在した麻薬の密輸ルート。トルコで生産されたヘロインをフランスを経てアメリカに密輸していた。別名コルシカコネクションとも呼ばれた。映画『フレンチ・コネクション』の題材となっている。

概要

単一の組織ではなく、マルセイユパリまたボルドール・アーブルに根付くグループや多数のネットワークである。インドシナ(現ベトナム、ラオス)、トルコ、フランス委任統治領レバノンフランス委任統治領シリア、からフランスにモルヒネベースで輸入し、南フランスに点在するラボでヘロインに作り変え、アメリカ(マイアミ)やカナダへ渡った。当時のフランスの密売人は、アメリカの犯罪組織の主要サプライヤーであり、コルシカの組織犯罪は中心的な役割を果たした。

このシステムは1930年代にマルセイユのギャング、ポール・カーボンとフランソワ・スピリットによって小規模に考案された。1950年代から60年代にドラッグ市場が急成長する前のフランスのギャングスター、アントワーヌ・ゲランの統治時代にアメリカへ出荷されたヘロインはフレンチコネクションをすべて合わせて、月平均270Kg にのぼる。1970年には、フレンチコネクションの密売は年間40~44トン、米国のヘロイン消費量の90%だと推定される。

Auguste Ricord, フランソワ・スピリットフランス語版, Jean-Baptiste Croce, Joseph Cesari (ヘロインを用意した化学者), Paul Mondoloniらはフレンチコネクションの主要人物である。アメリカンマフィアのゴッドファザーであるラッキー・ルチアーノ(本名サルヴァトーレ・ルカーニア)とマイヤー・ランスキー(本名マイェル・スホフラニスキ)と取引をしていた。Auguste Ricordの仲介によるフレンチ・ゲシュタポ(la Carlingue)から財政支援をされていた。

歴史

1898から1930年代

1898年にフランス支配下のベトナムで、後のフランス共和国大統領で当時インドシナ総督であったポール・ドゥメールは同化政策を推進し、南にアヘン専売公社を作ることを決める。当時の政権はアヘンの製造、販売に関わっていた。 これは植民地での財政収入の3番目を占めた。サイゴンで、ドゥメールは、アヘンの精製所の効率化を構築した。 政府はアヘン政策に焦点を当て、植民地の収支予算を黒字に安定させた。 1912年の初のアヘン貿易を根絶するための国際会議でハーグ万国阿片条約に署名をしていたにもかかわらず、 フランス領インドシナ当局は生産を続けた。

1930年代頃にブレーズ・サンドラール(Blaise Cendrars)はマルセイユでの密売アヘンがインドシナで売られている公式アヘンより安いことを言及している。これはインドシナ公社の倉庫から定期的に強盗されてマルセイユ行きの船に隠されて渡り、マルセイユのバーなどに集められていたからである。

1930年代から第二次世界大戦

20世紀初頭以降コルシカ人の船乗りたちはサイゴン―マルセイユ間を運航して半精製されたヘロインを地道に送っていた。1937年マルセイユ近くで最初の違法ラボが発見された。このラボは、当時のマルセイユのゴッドファーザーであるコルシカ島出身のポール・カーボンフランス語版によって設立され、東洋アヘンを輸入し、ヘロインに加工し、アメリカに輸出していた(インドシナではフランスのアヘン公社を通じて販売され、フランスの委任統治領であったレバノン、シリア、トルコでは製薬会社のラボにケシの実を販売することが合法で農家は栽培を許されていたが、過剰生産分が違法に輸出されていた。)。フランソワ・スピリット含むコルシカ・マフィア(ミリュー・コルスフランス語版ユニオンコルス英語版)はヘロインの国際取引のアメリカ市場への侵入を練り上げていた。他方、アメリカンマフィアのボス、ラッキー・ルチアーノは、米ユダヤ人のイーディッシュコネクション(別名 コーサ・ノストラ/Jewish mob)と中国の犯罪組織「三合会」による独占を排除し、利益の少ない酒の密売から麻薬販売に方向転換を考えた。これらのネットワークをフレンチコネクションと呼んだ。

第二次世界大戦中、ヴィシー政権下のインドシナ政権はインドシナのアヘン貿易の予算に重きを置き続け、1940年には7.5トン、1944年には60トン以上を生産した。地中海のハブであったマルセイユはヨーロッパに入ってくる非合法的な製品、特にヘロインの入り口となった。

戦後1947年2月5日、3㎏のヘロインがコルシカ人水兵から押収された。実のところ、フランス・マフィア(milieu)が徐々にアヘンの国際取引に不可欠の存在となっていることが明らかになる。1947年3月17日には13kgのヘロインがサントロペの汽船から押収される。1949年1月7日には23kg以上のヘロインとアヘンがフランスの船Batistaから押収された。

1950年代:麻薬取引の拡大

戦後シチリアやナポリのマフィアはアメリカの諜報機関CIAやSDECEは共産圏の影響からマルセイユの港を守る目的で協力をした。マルセイユの港湾労働者はインドシナにおいてフランス軍と戦うための武器を船に積むことを拒否した。報復として、港湾当局は、マルセイユの800人の港湾労働者(ドッカーズ)を解雇することを決めた。1950年3月10日に4000人のドッカーズ、労働総同盟を含めた労働組合が連帯して、大規模なストライキを行った。2週間後、全てのフランス人のポートがブロックされるが、フランス政府、 CIA、ゲリーニ、ラッキー・ルチアーノは、共産主義者たちのストライキを止めることに利益が合致したので手を組む。(当時のマルセイユは市役所が社会主義、港は社会主義であった。)ストライキを中止させるためにアーヴィング ブラウン英語版 (米労働組合のメンバーでもありCIAでもある)により刑務所から犯罪者を解放し、彼らは40日後港を奪還させた。 その為、政府は彼らのすべての犯罪取引に目をつぶった。

ルチアーノはヘロイン密売の為、コルス・マルセイユの一味と提携し、マルセイユにモルヒネベースをインドシナからトルコを経て運ぶグループを構築した。ヘロインへの加工は、マルセイユとその周辺での秘密ラボで行われ、マルセイユのヘロインはほぼ98%純度の高品質で有名だった。(当時の他の国では60-70%であった。) この時、コーサノストラの支配下にあった「フレンチシシリアコネクション」は加工ラボとして発達していった。

1960年代:麻薬取引の絶頂期

1960年10月3日、の反麻薬エージェントは、« white horse »と呼ばれるヘロイン350万ドルを押収し、グアテマラ大使マウリシオ・ロザルを含む4つの密輸業者を逮捕、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクへのヘロイン密売ルートがあることが分かる。これはベイルートからモルヒネベースで密輸されマルセイユに渡ったものだった。1960年の連邦捜査局の報告によると、フランスと米国間で年間1200から2300Kgのヘロインが取引されたと推定される。フランスの密売人は、市場の80-90%の需要を満たしていた。1962年には車の販売を使ってのヘロインの密輸ルートが判明し、22㎏のヘロインが車から押収された。これは後に映画『フレンチ・コネクション』の題材となった。 1964年10月には、フランス警察がフレンチコネクションの中で最も有名な化学者ジョセフ・カザリを逮捕した。1970年代には、米国当局はコルシカマフィアをコーザノストラよりも危険と見なしていた。1970年代に、米国当局はフランシスキ、オルシーニ、ベンチュリ、ロッティとゲリーニなど、15組のコルシカのマフィアを列挙した。ポール・カーボンとフランソワ・スピリットの死後、国際ヘロイン取引は1960年代半ばにGuerini兄弟によって取って代わった。

1970年代とフレンチコネクションの崩壊

1970年のアメリカでのヘロイン消費は49トンと推定される。同年9月Richard BerdinはNYでフランス人密売人が90㎏の純正ヘロインを売り渡そうとしていたところを逮捕し、彼は40人からなるそのネットワークを白状した。1972年6月29日アメリカからの圧力によって、トルコ政府は完全にアヘンの生産を停止することに合意した。1972年2月にから14ヶ月の期間にわたって、マルセイユやその近郊の6つの主要なヘロイン加工研究所は解体される。麻薬関連の逮捕は1970年の57件から1972年の3016件にのぼる。フレンチコネクションの2大グループヴィンセントパパのファミリーとルッケーゼ・ファミリーのメンバーは、ニューヨーク市警の警察官を多数買収していた。アメリカ、フランス、カナダおよびイタリア当局の協調行動がフランスのコネクションの解体を可能にした。

関連項目

参考リンク


フレンチ・コネクション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/21 00:03 UTC 版)

フレンチ・コネクション
The French Connection
監督 ウィリアム・フリードキン
脚本 アーネスト・タイディマン英語版
原作 ロビン・ムーア
フレンチ・コネクション英語版
製作 フィリップ・ダントーニ英語版
製作総指揮 G・デイヴィッド・シャイン英語版
出演者 ジーン・ハックマン
ロイ・シャイダー
フェルナンド・レイ
トニー・ロビアンコ
音楽 ドン・エリス英語版
撮影 オーウェン・ロイズマン
編集 ジェリー・グリーンバーグ
製作会社 フィリップ・ダントーニ・プロダクションズ
配給 20世紀フォックス
公開 1971年10月7日
1972年2月12日
上映時間 104分
製作国 アメリカ合衆国
言語 英語フランス語
製作費 $1,800,000
興行収入 $51,700,000[1]
次作 フレンチ・コネクション2
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フレンチ・コネクション』(The French Connection)は、1971年アメリカ合衆国アクションスリラー映画。監督はウィリアム・フリードキン、出演はジーン・ハックマンロイ・シャイダーなど。原作はロビン・ムーアによる同名のノンフィクション小説。第44回アカデミー賞に8部門でノミネートされ、作品賞監督賞主演男優賞脚色賞編集賞の5部門を受賞した。

概要

1961年に発生した、ニューヨーク市警察本部薬物対策課のエドワード(エディ)・イーガン英語版サルヴァトーレ(ソニー)・グロッソ英語版フランスから密輸された麻薬約40キログラムを押収した実在の事件がモデルとなっている。タイトルの「フレンチコネクション」とはトルコからフランスを経由して米国に輸出されていたヘロインの密売ルートおよびその組織のこと。イーガンとグロッソはアドバイザーとして制作に協力しており[注 1]、両者とも本編にカメオ出演を果たしている。

1975年には、ジョン・フランケンハイマー監督によって続編の『フレンチ・コネクション2』が制作された。

ストーリー

ニューヨーク市警察本部薬物対策課で“ポパイ”とアダ名されるドイル刑事。彼は薬物捜査のベテランだが、捜査のためならば強引な手法も厭わない。

麻薬の売人を逮捕したある夜、ドイルは相棒のルソーと共にナイトクラブ「コパカバーナ」に飲みに出かける。そこには有力マフィアの組長たちが妻同伴で来店していた。その際、組長夫妻たちと共にテーブルを囲み、札びらを切っている若い夫婦がいた。不審に思ったドイルとルソーは、その夫婦を捜査する。

夫婦は表向きはブルックリンデリカテッセンを営んでいるが、夫のサル・ボカは強盗事件などで何度か捜査対象になるなど、犯罪やマフィアに近いところにいた。ドイルとルソーは、工員や郵便配達人などに偽変しながら夫婦を視察下に置く。すると、夫のサル・ボカがニューヨークの麻薬取引の元締めで大物マフィア・ワインストックの舎弟であることが判明する。また、サルは近いうちにフランスとのヘロインの大口取引を任されるという。

財務省麻薬取締部の捜査官たちと捜査を進めると、マルセイユの黒幕のアラン・シャルニエがニューヨークを訪れていることが判明する。シャルニエは、リンカーン・コンチネンタルに麻薬を隠して密輸しようとする。ドイルはシャルニエを執拗に追及する。シャルニエはこれ以上追及の手が迫ることを恐れ、殺し屋ニコリをドイルのもとへ差し向ける。

キャスト

役名 俳優 日本語吹替
フジテレビ LD
"ポパイ" ジミー・ドイル英語版 ジーン・ハックマン 小池朝雄 内海賢二
"クラウディ" バディ・ルソー ロイ・シャイダー 羽佐間道夫
アラン・シャルニエ フェルナンド・レイ 大平透 大木民夫
サルバトーレ・ボカ トニー・ロビアンコ 山田康雄 青野武
アンリ・デブロー フレデリック・ド・パスカルフランス語版 柴田秀勝 池田勝
ピエール・ニコリ マルセル・ボズフィフランス語版 渡部猛 筈見純
ウォルト・シモンソン エディ・イーガン英語版 島宇志夫 村越伊知郎
ビル・クライン ソニー・グロッソ英語版 村瀬正彦
ビル・マルダリッグ ビル・ヒックマン英語版 村越伊知郎 村松康雄
アンジー・ボカ アーリーン・ファーバー 塚田恵美子 高島雅羅
不明
その他
N/A 今西正男
野田圭一
仲木隆司
徳丸完
村越伊知郎
清川元夢
池田勝
納谷六朗
藤本譲
一城みゆ希
徳丸完
増岡弘
安田隆
大山高男
屋良有作
広瀬正志
三田ゆう子
長堀芳夫
山本千鶴
日本語版制作スタッフ
演出 春日正伸 伊達渉
翻訳 山田実 佐藤一公
効果
調整 杉原日出弥
制作 トランスグローバル 東北新社
解説 高島忠夫 N/A
初回放送 1974年10月11日
ゴールデン洋画劇場
品番FY501-26MA
スター・チャンネル
にて放送実績あり

DVDBDに収録されているフジテレビ版吹替はテレビ放送当時の音声をそのまま使用しているため、カットされた部分には音源が無く一部字幕となっている。また音声は再放送のもので、初回放送より数分短い上に一部セリフもカットされている。
※字幕翻訳:(劇場用)清水俊二[2]。(ソフト用)佐藤一公[3]。(NHK-BS2用)飯島永昭[4][5]

スタッフ

受賞とノミネート

部門 候補者 結果
アカデミー賞 作品賞 フィリップ・ダントーニ英語版 受賞
監督賞 ウィリアム・フリードキン 受賞
主演男優賞 ジーン・ハックマン 受賞
助演男優賞 ロイ・シャイダー ノミネート
脚色賞 アーネスト・タイディマン英語版 受賞
撮影賞 オーウェン・ロイズマン ノミネート
編集賞 ジェラルド・B・グリーンバーグ 受賞
録音賞 セオドア・ソダーバーグ
クリストファー・ニューマン
ノミネート
英国アカデミー賞 作品賞 フィリップ・ダントーニ ノミネート
監督賞 ウィリアム・フリードキン ノミネート
主演男優賞 ジーン・ハックマン 受賞
編集賞 ジェラルド・B・グリーンバーグ 受賞
録音賞 セオドア・ソダーバーグ
クリストファー・ニューマン
ノミネート
ゴールデングローブ賞 作品賞(ドラマ部門) -- 受賞
監督賞 ウィリアム・フリードキン 受賞
主演男優賞(ドラマ部門) ジーン・ハックマン 受賞
脚本賞 アーネスト・タイディマン ノミネート

シーンの編集

本作品の一部シーンにおいて、黒人イタリア人などに対する差別的な台詞が含まれていることから北米アメリカカナダ)の一部動画配信サービスにおいて、該当シーンが編集(カット)されていることが2023年6月に報じられた。ねとらぼによると、日本でもiTunes Storeにおいて配信されている本作品において、北米と同様に編集された修正版が配信されていると報じている[6]

映画ジャーナリストのロバート・マイヤー・バーネットは修正版を配信している動画配信サービス事業者に問い合わせたところ、「本作品の権利を所有しているウォルト・ディズニー・カンパニー[注 2]が修正版をディレクターズ・カットとして、配信事業者に供給しているため」との回答があったとTwitterにてコメントしている[6]

一方でディズニー傘下の定額制動画配信サービスDisney+」では本作品を視聴することが出来るが[注 3]、差別的なセリフが含まれているシーンもカットされていないオリジナル版が配信されている[6]

この編集について、SNSでは批判的な意見が多く、映画コラムニストのジェフ・ウェルズは「(仮に)ディズニーが当該シーンの削除を行ったのであれば、映画ファンや業界に対し説明する義務がある」と述べている[6]

その他

  • 監督のウィリアム・フリードキンは、DVDのオーディオコメンタリーで「私は2本のフランス映画に大きな影響を受けた。1本はジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』で、もう1本はコスタ=ガヴラスの『Z』だ」と述べ、『Z』でガヴラスが行った「ドキュメンタリー・リアリズム」の手法を本作品に取り入れたと証言している。なお、殺し屋のニコリを演じたマルセル・ボズフィは『Z』に出演している。
  • カーチェイスのシーンで、ドイルの乗る車はポンティアック・ルマン。スタント・ドライバーで、本作品で麻薬捜査官のマルダリッグを演じるビル・ヒックマンが運転を行っている。また、ハックマン自身も運転を行っている。
  • 冒頭の「コパカバーナ」のシーンでは、ブレイク前のザ・スリー・ディグリーズが登場し、"Everybody Gets To Go The Moon"(ジム・ウェッブの作品)を歌う。
  • シャルニエとニコリ、アンリ・デブローが密会する小島は、牢獄として19世紀まで使用されたシャトー・ディフ。ここで、シャルニエがホヤを潮溜りから拾い上げて食べている。
  • この映画の名称から取った、フレンチ・コネクションというカクテルが存在する。
  • ニューヨーク地下鉄には地上を走る区間があり、地上を走る区間の中には道路上に同じ方向で並行して建設された高架線も存在する[注 4]。これを利用して、地下鉄で逃亡する犯人を刑事が直下の道路を使って自動車で追跡するシーンが作中で見られる。
  • ポパイとクラウディがサルを尾行しているシーンは、マンハッタンのルーズヴェルト・ホテル周辺で撮影された。
  • ジャケットでも使用されている、ポパイがニコリを射殺するシーンは、ブルックリン62丁目/ニュー・ユトレヒト・アベニュー駅の階段で撮影された。
  • 映画評論家のロジャー・イーバートは、1971年のベストの映画の一つと評価した[7]。『ニューヨーク・タイムズ』のロジャー・グリーンスパンは、以下のように書いた。

    「使われている題材は昔ながらのものだ。警察と悪党。スリルと追跡。そして定石どおりの派手な撃ち合い。だが実際はそうではない。『フレンチ・コネクション』はまったく新しいタイプの映画である」[8]。『ザ・ニューヨーカー』のポーリン・ケイルはおおむね否定的な批評を書いた[9][10]勝新太郎は絶賛したと言われている[11]

脚注

注釈

  1. ^ 但しグロッソはポパイが丸腰の相手を背中から撃つシーンに抗議し、途中でアドバイザーを降りている。
  2. ^ 本作品を制作した20世紀フォックス映画は2019年にディズニーに買収されている。
  3. ^ アメリカ並びに日本のDisney+では配信されていない。
  4. ^ 日本でこれに近い構造を持つ路線として、近鉄けいはんな線の荒本 - 新石切間が該当する。ただしこちらは線路下は映画同様に国道308号線があるが、線路の上に阪神高速13号東大阪線がある。

出典

外部リンク




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