ドイツ・サッカーと選手権の歴史
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「ドイツ・サッカー選手権」の記事における「ドイツ・サッカーと選手権の歴史」の解説
ドイツ・サッカーの確立まで(ドイツ帝国時代) 1870年 - イギリスとの船舶の往来によって、サッカーが北海を越えてドイツに持ち込まれ、北ドイツの各港町で競技として定着、ハンブルクなどでは特に労働者層に浸透した。 1875年 - イングランドのオックスフォード大学のサッカークラブが訪独し、ドイツのクラブと試合する。なお、この試合はイングランドのクラブとしては初の海外試合であり、非公式ながらもイギリス国外で初めてのFAルールによる国際試合となった。 1876年 - FAルールが当時のドイツ語に翻訳される。 1880年以降 - 各地に総合型スポーツクラブが生まれ、サッカーの普及とともに各クラブでサッカー部門が設立される。 1887年 - ドイツ最初のサッカークラブ、SCゲルマニア・ハンブルク設立。後にハンブルガー・シュポルト=フェァアイン(ハンブルガーSV)と改称。 1890年 - 各地域でリーグ戦が次々と発足。 1900年 - ライプツィヒに各地域の代表が集まり、ドイツ・フットボール連盟(DEUTSHER FUSSBAL BUND、略称:DFB)が設立される。 ドイツ選手権の発足から第二次世界大戦まで(ドイツ帝国 → ヴァイマル・ドイツ → ナチス・ドイツ時代) 1902年 - ドイツ選手権がスタート。第1回大会は、VfBライプツィヒがゲルマニア・ハンブルク(現ハンブルガーSV)を7-2で破り初代チャンピオンとなった。なお、ドイツでは全国リーグ形式の選手権でなく、各地域リーグ代表同士によるトーナメント方式のプレーオフで行われた。当初は7つの地域代表に参加資格が与えられていたが、後にトーナメント出場枠を16チームに拡大した。ちなみに、トーナメントによるこのシステムは1963年にプンデスリーガの発足までの約60年間続いた。 1904年 - FIFA(国勢サッカー連盟)に加盟。 1908年 - ドイツ・カップがスタート(ドイツ選手権と同様、地域からトーナメント方式)。 1914年 - 第一次世界大戦が勃発。 1933年 - ナチスがドイツの政権を握り、その後、ヒトラーとナチスが権力を強めていく。以後戦争終結まで、サッカーをはじめとするスポーツは国威発揚としての色を強める。 1934年 - サッカードイツ代表が、FIFAワールドカップ・第2回イタリア大会で同大会に初参加(結果は3位)。 1936年 - 地元開催となった第11回ベルリンオリンピックで、サッカードイツ代表はベスト8。 1938年 - オーストリア併合により、オーストリアリーグはドイツ選手権の地方リーグに組み込まれる。なお、この影響で1940-41シーズンの選手権に参加したSKラピード・ウィーンはドイツ以外のクラブでは唯一となるドイツ選手権優勝を果たした。 1939年 - ドイツ軍がポーランドに侵攻。ドイツ国内も戦争の影響を受けるが、ヒトラーのスポーツ奨励策により、地域リーグ・ドイツ選手権は戦時中も継続(1943-44年シーズン後、戦況の悪化と戦後処理などにより中断)。 東西分裂後からブンデスリーガの発足まで(西ドイツ時代) 1948年 - ドイツ国土が東ドイツと西ドイツに分裂。DFBおよびドイツ選手権は西ドイツが引き継いだ。なお、東ドイツに本拠地を置くクラブは、1949年に発足したDDRオーバーリーガに参加した。なお、DDRオーバーリーガおよび所属クラブは、1992年にドイツ・ブンデスリーガに編入した。 1954年 - 第5回スイス・ワールドカップで西ドイツが初優勝。 1960年 - UEFAチャンピオンズ・カップで、アイントラハト・フランクフルトがドイツ勢としては初の決勝戦進出を果たす(結果はレアル・マドリードに3-7で破れ準優勝)。 1963年 - DFBで全国リーグの発足と完全プロ化の導入が決められ、ドイツ選手権は1962-63シーズンを以って終了・発展解消し、翌1963-64シーズンからは16クラブ制(3年目から18クラブ制)の全国プロリーグに移行する形でブンデスリーガが発足され新たにスタートした。 これ以降のドイツのサッカー大会および歴史などについては、ドイツ・ブンデスリーガおよびドイツサッカー連盟をご覧ください。
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