トラウトマン和平工作を推進
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「多田駿」の記事における「トラウトマン和平工作を推進」の解説
「トラウトマン和平工作」も参照 1937年末、多田は蔣介石との講和のタイミングと見て、ドイツ仲介による和平工作を展開する。この工作は元々、石原作戦部長が馬奈木敬信中佐を通じて、ドイツ大使館付武官オイゲン・オット少佐と極秘裏に交渉を進めていたもので、多田が後を引き継いだ形となった。 多田は本間雅晴情報部長と共に秘密工作を進め、馬奈木の上海派遣を決定した。馬奈木は戦線視察を名目にオットと上海に渡り、10月26日にオスカー・トラウトマン駐華ドイツ大使と会談。日中和平の仲介を要請して、トラウトマンから快諾を得た。 同じ時期、広田外相もヘルベルト・フォン・ディルクゼン駐日ドイツ大使に和平の仲介を依頼しており、ここにトラウトマンを通じた日中の交渉ルートが設定されることになった。 多田が中心となって推進したこの和平工作は、現代では「トラウトマン和平工作」と呼ばれ、 数多い和平工作のなかでも、日中両国政府の最高指導者部が戦争終結とその条件について、ある程度まで意志を流通させたことが確認できる唯一の例であり、また戦争打ちきりの可能性を残した最後の機会であった。 — 秦郁彦、 と評されている。 11月2日、広田外相からディルクゼン大使に日本側の和平7条件が示された。ディルクゼンは、この条件なら中国側は受諾可能と判断し、5日にはトラウトマンから蔣介石に日本の和平条件が伝えられた。 しかし、蔣介石はこの和平条件を拒否。11月3日にブリュッセルで開幕した九カ国条約会議(日本は不参加)の動向に期待してのことであったが、会議の結果は日中の武力衝突に対して即時停戦を勧告したものの、中国が望んだ対日制裁は行わないものであった。また、この時期、蔣介石はソ連に派兵要請をおこなっていたが、結局ソ連は動かず、ここでも期待を裏切られることとなる。事ここにいたり、蔣介石は日本の和平条件を再考することになった。 この間、トラウトマンを通じた和平交渉の詳細は、オットから本間情報部長へもたらされたが、多田以外には伝えない徹底ぶりであった。 12月2日、蔣介石はトラウトマンに講和条約の基礎として日本の要求を受諾することを伝えた。12月7日、ディルクゼン大使は中国側の意向を広田外相に伝えたが、広田は最近の日本の軍事的成功を踏まえて、和平条件の変更を示唆したのであった。 激戦となった上海戦は11月9日までに終結しており、中国側は最精鋭部隊が壊滅、投入兵力70万のうち19万の犠牲を出す大損害を被っていた。一方、日本側は上海で作戦を打ち切る予定であったが、現地軍の要望に押され戦線は拡大していった。多田は現地軍の南京追撃を一度は押し止めたものの、結局は現地軍の積極論が勝り、12月1日に南京攻略命令が出される状況であった。 12月21日、日本の新たな和平条件が決まったが、12月13日に南京を攻略したこともあり、和平条件は次々と加重され、前案に比べて格段に苛酷なものに変わった。日本の新和平条件は、22日に広田外相からディルクゼン大使へと伝えられた。ディルクゼンは中国側の受諾は絶望的、との見解を示した。 この新和平条件について、中国側の反応は否定的であった。ただし、12月末の国防会議で和平受諾を決定したという説、あるいは政府首脳が和平受諾に傾いたものの、蔣介石の了解を得る前に日本から交渉を打ち切られたという説もある。確かなことは、中国は回答を急がなかったということであり、このことは日本側から遷延策とみなされることになる。 新和平条件に対する中国からの回答を待つ間、日本側では政府・陸軍省を中心に交渉打ち切り論が台頭した。これに対して、参謀本部は交渉打ち切り論を抑えて、交渉期限の引き延ばしを図る一方、御前会議の開催を要請する。1月11日の御前会議では和戦両様案が採択され、中国政府が日本の要求に応じない場合は「以後これを相手とする事変解決には期待を掛けず、新興支那政権の成立を助長する」すること、要求に応じる場合は、中国が誠意を持って和平条件を実行するならば条件緩和もあり得ることを決定した。 日本側は15日までに中国から満足すべき回答がなければ交渉を打ち切ることを申し合わせたが、14日に到着した中国の回答は日本の和平条件は曖昧であるから、具体的な細目条件を示して欲しいという趣旨のものであった。政府は中国の回答を誠意なしとみなして交渉打ち切りへと傾くが、参謀本部はなお交渉継続を主張、こうして15日の大本営政府連絡会議は政府と統帥部の全面対決となった。
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