ダゴン星域会戦
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「銀河英雄伝説の戦役」の記事における「ダゴン星域会戦」の解説
宇宙暦640年/帝国暦331年7月14日~22日。帝国軍と同盟軍の、初めての本格的な艦隊戦闘。後述の戦闘経緯から「ダゴンの殲滅戦」とも呼ばれることがある。なお、この戦いを描いた原作小説は、当初通常の単行本に収録されていなかったが、西暦2002年3月発行の徳間デュアル文庫「銀河英雄伝説外伝1・黄金の翼」に収録された。 帝国は、同盟の存在を認識し、これを討伐すべく軍を派遣した。司令官は皇帝フリードリヒ3世の3男ヘルベルト大公、兵力は艦艇52,600隻、将兵4,408,000人。この軍事行動には、有力な後継者と目されたヘルベルトに手柄を挙げさせ箔をつける意味合いもあった。ただし、彼は軍事の素人であり、彼が選んだ指揮官たちも半数は取り巻きの貴族子弟であった。残る半数はインゴルシュタット中将など相応の軍事能力を備えた幕僚ではあったが、叛乱や民衆蜂起を相手にしたことはあっても正規軍相手の本格的な実戦経験はなく、そして彼らもまた油断しきった驕れる貴族であった。一方の同盟軍もまた本格的な実戦経験はなく、兵力は帝国軍の半数であったが、この日を覚悟して鍛えられており、性格はともかく指揮能力の優秀さだけは誰も疑わなかったリン・パオ中将を総司令官に、ユースフ・トパロウル中将を総参謀長に据え、迎撃の準備を整えた。 7月8日、同盟軍の駆逐艦ヤノーシュがイゼルローン回廊の出口付近を哨戒中に帝国艦隊を発見、同14日に双方の先鋒がダゴン星域で戦闘状態に入ったが、お互い及び腰で長距離砲撃を行ったのみで双方とも損害は無かった。ダゴン星域は迷宮も同然の小惑星帯に太陽嵐が吹き荒れる難所であったが、同盟軍は地勢を知り尽くし索敵においても勝っていた。一方、帝国軍の実質的な指揮官インゴルシュタットは索敵どころか自軍の位置測定さえ困難なダゴン星域の地勢を考慮し、密集隊形での迎撃に徹して同盟軍を消耗させる策に出た。16日の戦闘で同盟のオレウィンスキー艦隊が戦術的敗北を喫して3割の損害を出すと、リン・パオは帝国軍に相応の戦術能力がある事を認め、戦闘の勝利より相手の疲弊と撤退を優先させる事を考えた。 一方、この勝利に気を良くしたヘルベルトはインゴルシュタットの戦法を無視して17日に全面攻勢を命じ、敵情も把握しないまま全艦隊を放射状に分散させる愚を犯した。インゴルシュタットは命令に従いつつも各艦隊を連携させいつでも再集結できる体制を整えようとしたが、実戦経験の不足が災いして失敗し、帝国軍本隊は孤立した。一方、18日に帝国軍が動いたという「常識外の」報告を受けたリン・パオとユースフ・トパロウルは、最初は敵の周到な作戦かと疑い、同日の戦闘でも後手に回ったが、翌19日になって帝国軍が素人の感情論で動くリン・パオの言うところの「あほう」である事に気づき、ユースフ・トパロウルも即座に同意した。これをうけて両者は当初の宙域に残っていた帝国軍本隊のみを全兵力で攻撃する事を決断した。16時、リン・パオは攻勢に転じ、一旦は阻止されたものの、18日に特命を受けて帝国軍の後方を攪乱していた同盟軍エルステッド艦隊の活動がこの頃から奏功し始め、翌20日に帝国軍バッセンハイム中将の艦隊が崩壊、同中将が戦死した。激怒したヘルベルトは分散した艦隊に再結集を命じたが、同盟軍はそれを傍受し、敵が連携を欠いたまま集結したところを一挙に包囲殲滅する事を命じた。21日0時40分、同盟軍ウォード中将の艦隊が帝国軍左翼を攻撃し、さらに反対方向からアンドラーシュ艦隊が突進。帝国軍のハーゼンクレーバー提督は乗艦もろとも四散した。この攻撃によって密集隊形というより単に群れた烏合の衆と化した帝国軍に対して同盟軍は全面包囲攻撃を敢行、22日4時30分、帝国軍はほぼ消滅した。生存率は8.3パーセント。後世の同盟からは輝かしい戦勝と称えられているが、司令官は「自分たちは何度も失敗した。しかし帝国軍はそれ以上の失敗を繰り返したおかげで勝てただけだ。」と述べている。 ヘルベルト大公は生きて帰ることができ、皇族故に罪こそ問われなかったものの、そのまま精神病院に幽閉され、皇位を継ぐことができなくなった。そのヘルベルトの代わりにインゴルシュタット中将が敗戦の全責任を取らされて銃殺となった。一方のリン・パオとトパロウルはその後元帥昇進は果たすものの、若いうちに巨大すぎる功績を立てたことによって居場所がなくなり、決して幸福とは言えない晩年を送っている。 この一戦で、「自由の国」同盟の存在を知った帝国からは亡命者が相次ぎ、その数は同盟の国力を大幅に増大させるほどになった。しかしその中には、ただの刑事犯罪者や権力抗争に敗れた貴族も含まれており、同盟を徐々に質的に劣化させる一因ともなった。また、この敗戦によってヘルベルトが皇位継承争いから脱落し、代わりに即位した「晴眼帝」マクシミリアン・ヨーゼフ二世の改革によって、当時混乱の極みにあった帝国は立ち直ってしまった。
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