タイタニック号の動物たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/11 03:38 UTC 版)
「タイタニック号に乗船していた動物たち」の記事における「タイタニック号の動物たち」の解説
メス猫「ジェニー」と子猫たち タイタニック号には、「ジェニー」(Jenny)という名のメス猫が船乗り猫として乗り込んでいた。この猫には以前タイタニック号の姉妹船オリンピック号に乗り込んでいたときに、ソレント海峡で巡洋艦ホークとの衝突事故に遭遇したが生き延びた経験があった。タイタニック号がサウサンプトンから処女航海に出航する1週間前、ジェニーは一腹の子猫を出産した。ジェニーと子猫たちは、オリンピック号からタイタニック号の船乗り猫として転属となった。 ジェニーと子猫たちはタイタニック号の調理室に住んで残飯をエサとして与えられ、出没するネズミ退治に能力を発揮した。ジェニーは調理室の皿洗いスタッフを務めるジムという男性に懐いていて、彼のそばに子猫たちを寝かせていた。客室係のヴァイオレット・ジェソップ(英語版)は「ジェニーは常にジムの賛同を求め、そしてジムのほうもつねに温かく献身的な愛情を注いでいました」と後に書いている。ジムと猫たちは、タイタニック号の沈没に巻き込まれて行方不明になった。『タイタニック 百年目の真実』(原題:FAREWELL,TITANIC HER Final LEGACY、2012年)の著者チャールズ・ペレグリーノはヴァイオレットから見たジムの人柄について、「たとえ救命ボートに近づけたとしても、自分のことはそっちのけで、ジェニーと子猫をバスケットに入れて女性か子供にたくし、それが彼の見せた最後のやさしさになったにちがいない」と記述している。 犬たち 犬たちは、乗客のペットとしてともに乗り込んできた。一等船客の一部はおそらく乗組員の黙認のもとにそれぞれの船室に犬を連れて行ったが、残りのほとんどは船上のF甲板に設置された犬小屋に収容された。船大工のジョン・ハッチンソンは、犬たちの快適な生活に対して責任があった。犬小屋に収容された犬たちは、客室係かベルボーイのうち1人に連れられて船尾楼甲板で毎日運動していた。 小型の愛玩犬に対して、一等船客の1人でアメリカ合衆国の高名な画家フランシス・ディヴィス・ミレット(英語版)(事故により死亡)は、タイタニック号の最後の停泊地となったアイルランドの港町クイーンズタウンから否定的な感情を込めた手紙を書き送った。 「 乗客名簿に目を通すと、3人か4人の知人を見つけるだけである。しかし…とても不快で仰々しいアメリカ女性がかなりいて、彼女たちが群がる場所はどこもが悩みの種となる。それらの女性の多くは小さい犬を連れていて、女性の夫たちは従順な子羊のようにそのまわりにつき従っている。 」 —Davenport-Hines, Richard (2012). Titanic Lives: Migrants and Millionaires, Conmen and Crew. p.174. 犬の飼い主たちは、4月15日の朝にタイタニック号の船上でドッグショーを開催する計画を立てていた。しかし、タイタニック号はその前日の4月14日深夜に氷山と衝突し、ほとんどの犬たちは船とともに北大西洋の海底に沈んでいった。 タイタニック号に乗船していた犬のうち一部については、詳細が記録されている。 キング・チャールズ・スパニエルとかなり年老いたエアデール・テリア - 一等船客のウィリアム・カーター(救命ボートC号艇で生還)所有。 チャウチャウ - 一等船客のハリー・アンダーソン(救命ボート3号艇で生還)所有。 フレンチ・ブルドッグ - 一等船客のロバート・W・ダニエル(救命ボート3号艇で生還)所有。この犬は「Gamin de Pycombe」という名で、ダニエルはイングランドで150ポンド(2012年時点の価値に換算すると12,575ポンド)という高値で購入した。 エアデール・テリア - この犬の名は「キティ」(Kitty)といい、一等船客のジョン・ジェイコブ・アスター4世(事故により死亡、妻は救命ボート4号艇で生還)が所有していた。 ポメラニアン - 一等船客のマーガレット・ヘイズ(en:Margaret Bechstein Hays、救命ボート7号艇で生還)所有。名前は「レディ」(Lady)といい、マーガレットはおそらく人目を忍んでこの犬を船室内で飼っていた。 ポメラニアン - 一等船客のエリザベス・ロスチャイルド(救命ボート6号艇で生還)所有の犬。この犬も船室内で飼われていた。 ペキニーズ - 一等船客のヘンリー・スリーパー・ハーパー(en:Henry S. Harper、救命ボート3号艇で生還)所有。名を「孫逸仙」(Sun Yat Sen)といい、中国の革命家孫文にちなんで命名された。 フラウ=フラウ(Frou-FrouまたはFreu Freu)という名の愛玩犬 - 一等船客のヘレン・ビショップ(救命ボート7号艇で生還)所有。フラウ=フラウは犬小屋で大型犬の中で過ごさせるには「あまりにも可愛らしい」と客室係が思ったため、船室内に滞在することを許可された。 タイタニック号にはさらに多くの犬が乗り込んでいたと推定されているが、その犬たち(及びその所有者)は事故の犠牲となって詳細も不明である。その点では、ワシントン出身の猟犬取引人クラレンス・ムーア(事故により死亡)が購入した100頭のイングリッシュ・フォックスハウンドは幸運であった。ムーアはワシントンでキツネ狩りを始めるために犬たちを購入してタイタニック号で運搬する予定であったが、土壇場で計画は変更されて犬たちは別の船に乗船していたため事故の犠牲とならずに済んでいる。 その他の動物たち タイタニック号には犬や猫と同様に、多数の鳥が乗船していた。ニューヨーク出身の一等船客エラ・ホームズ・ホワイト(救命ボート8号艇で生還)という女性は、雄鶏と雌鶏を合計4羽連れていた。エラ・ホームズ・ホワイト所有の鶏たちは、F甲板の犬小屋もしくはその近くで飼われていた。エラ・ホームズ・ホワイトは品種改良に取り組むために、この鶏たちをフランスから輸入していた。もう1人の女性も、30羽の雄鶏を連れて乗り込んでいたという。二等船客のエリザベス・ラメール・ナイ(救命ボート11号艇で生還)は、カナリアを1羽連れていた。 タイタニック号の最初の寄港地シェルブールで、この港で下船する乗客とともに犬2頭、カナリア1羽が船を降りた。動物たちは、それぞれの飼い主が各自の乗船切符代を支払った上でタイタニック号に乗っていた。シェルブールで下船したカナリアさえも、その飼い主が25セントの切符代を支払っていた。 当時の他の多くの船と同様に、タイタニック号にも多数のネズミが生息していた。事故前の夕方に、ネズミのうち1匹が三等船客の食堂を横切って駆け回っているのが見られた。このとき人々はダンスパーティを開いていて、その最中にネズミが騒ぎを起こしたのだった。ネズミを捕えようとした男性が失敗して取り逃がすのを見た女性のうち、数人が急に泣き出してしまった。
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