タイタニック号の操舵員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/04 06:42 UTC 版)
「ロバート・ヒッチェンス」の記事における「タイタニック号の操舵員」の解説
1912年4月6日にタイタニック号の6人の操舵員の一人として雇われた。 4月14日午後10時にヒッチェンスはアルフレッド・ジョン・オリバー(Alfred John Olliver)と勤務交代し、タイタニック号の舵を握った。午後11時40分、氷山を発見したマストの見張りから電話で「正面に氷山があります」との報告を受けた六等航海士ジェームズ・ポール・ムーディはブリッジの指揮を執る一等航海士ウィリアム・マクマスター・マードックに対してその言葉を繰り返して報告した。マードックはヒッチェンスに「取り舵一杯」の指示を出し、ヒッチェンスは操舵を左に回した。さらにマードックは機関室用信号機を使って両エンジンに全速後進の指示を出した。結果、氷山への正面衝突は免れたものの、船体右舷と氷山が接触した。
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