タイタニック号の中で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 23:58 UTC 版)
「アイダ・ストラウス」の記事における「タイタニック号の中で」の解説
1912年4月10日、アイダは夫のイジドーと、家政婦のエレン・バード、使用人のジョン・ファージングと共にサウサンプトンからタイタニック号に乗船した。彼女の船室にはC-55からC-57が割り当てられている。4月14日の午後11時40分、北大西洋を航行中であったタイタニック号は氷山と衝突した。しかし、当時タイタニック号は「決して沈まない船」という触れ込みで大々的に宣伝されており、造船会社の関係者たちは誰もタイタニック号が沈没する可能性を想定していなかったため、救命ボートは本来必要な数の半分程度しか用意されていなかった。船が浸水し始めると、ストラウス夫妻は家政婦のバードを連れ立って8号ボートのそばへ向かった。8号ボートは「女性優先」を徹底していた二等航海士のチャールズ・ライトラーが担当していたが、すでに高齢のイジドーに対しては例外的にボートに乗り込むことを認めた。しかし、イジドーは「男の私が女性と子供を差し置いてボートに乗るわけにはいきません」と言い、ボートに乗り込むことを断った。イジドーは妻のアイダにボートに乗るよう促したが、アイダは「私たちは長年連れ添ってきました。あなたが行くところに私も向かいます」と言い、彼女もボートに乗らず最期まで夫と共にいる決意を固めた。彼女のこの言葉は、すでに8号ボートへ乗り移っていた乗客やボートデッキにいた多数の乗客が耳にしている。アイダは、もはや不必要となった毛皮のコートを家政婦のバードに着せて彼女をボートに乗せ、夫妻は沈みゆくタイタニック号のデッキで腕を組み、寄り添っていたが、それが夫妻が目撃された最期の姿であった。氷山と衝突してから2時間40分後の4月15日午前2時20分、タイタニック号は完全に水没した。
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