タイタニック号乗船
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「ジョセフ・ブルース・イズメイ」の記事における「タイタニック号乗船」の解説
イズメイは1912年4月10日出航のタイタニックの処女航海に乗船した。乗船の際、大西洋横断中に特定の場所でためしてほしい速度のリストをスミス船長に手渡している。タイタニック乗船中はBデッキの一等船室B52/54/56に滞在した。 4月14日の午後早く、スミス船長と一等社交室で会談し「今日は昨日よりも良かったし、明日はさらに良くなるだろう。この分ならオリンピック号の記録を更新して火曜日(4月16日)の夜にはニューヨークに到着できる事は間違いなしだ。」と述べている。予定日より早い火曜日夜に到着すれば水曜日の朝刊に間に合い、話題になるだろうという思惑だった。 4月14日午後11時40分、タイタニックが氷山に衝突した時、イズメイは自室で寝ていたが、振動で目を覚ました。これまでの経験から船が何かにぶつかったと直感し、パジャマの上にコートを羽織り、スリッパのままという姿で大慌てでブリッジへ飛び込んだ。スミス船長から氷山にぶつかった旨の報告を受けると「船の被害はひどいのか」と尋ねたが、船長は「残念ながらそのようです」と答えている。 4月15日に入った深夜、右舷デッキに出ると乗客をボートに乗せる一等航海士マードックらの手伝いをした。しかしイズメイはその場からも浮いており、5号ボートを降ろす際には「もっと降ろせ、もっと降ろせ」と急かしていたが、五等航海士ハロルド・ロウに迷惑がられ、「もっと早く降ろせというのか。そんなことしたら、みんな溺れちまうんだぞ」と怒鳴りつけられて、すごすごと退散する場面があった。またロウによれば、午前1時頃に遭難信号弾が打ち上げられた際にイズメイははるか上空を見つめ、信じられないという表情で口をあんぐりと空けていたという。 午前1時40分頃、右舷最後のC号ボートが降ろされた時、まだ大勢の乗客が残っていることを知りながら、そのボートの空席に飛び乗っている。 午前6時30分頃、イズメイの乗るC号ボートがカルパチア号に救出された。イズメイは医師から熱いスープを飲むことを勧められるも断って一人にさせてくれと個室を要求し、その医師の部屋に案内された。彼はニューヨークに到着するまでその部屋に閉じこもっていた。
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タイタニック号乗船
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「マーガレット・ブラウン」の記事における「タイタニック号乗船」の解説
マーガレットはフランスのシェルブールから客船タイタニックに一等船客として乗船し、1912年4月15日、氷山に衝突して沈没する。 他の乗客が救命艇に乗り込むのを助けていたが、最終的に救命艇6号に乗って船を離れることを承諾する。沈没後、他の女性乗客数名とともに救命艇6号を指示し、ボートを指揮していた操舵員ロバート・ヒッチェンスに有無を言わさず「暖をとるため」ボートを漕ぎ、水中の生存者を探し出すために戻った。。しかし生存者発見に成功したのは救命艇12号だけだった。カルパチア号に救助、収容された際も、女性乗客の間でリーダーシップを発揮した。生存者を捜すために救命艇6号を戻らせようと努力したところから、ヒロインと見なされるようになった。 タイタニック号生存者としての名声は、労働者と女性の権利、子どもの教育や読み書き能力、歴史の保存といった、深く心にかけた問題を推進するのに役立った。
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