タイタニック号の事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 08:13 UTC 版)
「ウォレス・ハートリー」の記事における「タイタニック号の事故」の解説
タイタニック号が氷山に衝突して沈み始めた後、ハートリーと彼のバンドは、乗客たちが落ち着いて救命艇に誘導されるようにと、ラグタイムの曲目を演奏した。多数の生存者の証言によると、彼らは最後の最後まで演奏を続けていたという。 ハートリーもバンドのメンバーも生き残ることはできなかったが、彼らの名は後世に残ることとなった。最期に彼らが演奏した曲は不明であるが、『主よ御許に近づかん』(Nearer, my God, to Thee)だったと一般に思われている。但し、ウォルター・ロードは彼の著書『タイタニック号の最期』で、タイタニック号の無線技師だったハロルド・ブライドが、そのとき『秋』という曲を聞いたという記録を明らかにしている。 ハートリーの遺体は、事故の約2週間後にマッケイ・ベネット(英語版)によって引き上げられ、身元が確認された。彼の遺体はホワイト・スター・ラインの汽船「アラビック」(Arabic)でイギリスに運ばれた。葬儀には1,000人が出席し、40,000人の人々が彼の葬列を見送ったという。 彼は故郷に葬られ、モニュメントの土台にはヴァイオリンが彫刻された。 遺体が引き上げられた際に身体に結びついた状態で発見されたヴァイオリンは、2013年に現存している事が判明した。1910年に婚約者のマリアから贈られたもので、ヴァイオリンには「ウォレスへ、婚約を記念して マリアより」と刻まれた銀製の飾り板が取り付けられている。このヴァイオリンは競売にかけられ、タイタニック号にゆかりのある品としては最高額の90万ポンド(約1億4200万円)で落札された。
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