初のSOS
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SOSを初めて使ったのは、1909年8月11日、ニューヨークからジャクソンビル (フロリダ州)に向かっていたクライド・ライン「アラパホ号(SS Arapahoe)」のユナイテッド・ワイアレス局VBがハッテラス岬沖でプロペラシャフトを破損した際に無線電信で救助を求めたところ、ユナイテッド・ワイアレス社ハッテラス岬海岸局HAおよびクライド・ライン「ヒューロン号(SS Huron)」のユナイテッド・ワイアレス局VHと連絡がとれ、全員救助された事故だったとする説と、1909年6月10日、アゾレス諸島沖で難破したキュナード・ラインの「スラボニア号(RMS Slavonia)」のマルコーニ局MVAが発信したものだという説がある。 アラパホ号の事故では、翌日の新聞各紙が同号のSOSの発信を伝えている。しかしスラボニア号の事故の場合、直後の新聞各紙は『スラボニア号がCQDを発した』と報じている。 ところがスラボニア号の沈没から1年も後になって、同号がSOSを発したとする記事が新聞Lincoln Daily News(1910年8月1日 1ページ)や雑誌Modern Electrics(1910年9月号 315ページ)に登場した。特にModern Electrics誌は「スラボニア号SOS説」の出典元として使われることがあるが、Modern Electrics誌には事実検証できるものが一切示されておらず、現在もなお検証がなされていない。スラボニア号を所有するキュナード・ラインは、英国の「大手」海運会社の中で最もはやくマルコーニ国際海洋通信会社と契約している(1901年)。もしスラボニア号のマルコーニ局MVAがSOSを発信したのなら、「なぜスラボニア号がマルコーニ社のCQDを使わなかったのか?」という疑問が湧くが、これを説明する文献は現在のところ見当たらない。 アラパホ号の事故から半月後の1909年8月26日に起きたアラスカ汽船のオハイオ号の事故でも、同船のユナイテッド・ワイアレス局AOはSOSを使っている。その後も、1909年11月のノールマハル号、1910年2月のケンタッキー号、1910年3月のタグス号、1910年7月のモムス号等の事故において、ユナイテッド・ワイアレス社は国際的な遭難信号SOSを使っている。
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初のSOS
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 07:46 UTC 版)
1909年(明治42年)8月11日、クライド・ライン所属「アラパホ号(SS Arapahoe)」がニューヨークからジャクソンビル (フロリダ州)に向かっていたところ、ノースカロライナ州ハッテラス岬沖でプロペラシャフトを破損するという事故を起した。アラパホ号にはユナイテッド・ワイアレス社の船舶局(呼出符号VB)が設置されており、遭難信号SOSで助けを求めたところ、ユナイテッド・ワイアレス社ハッテラス岬海岸局(呼出符号HA)から応答があった。ほどなく同じくクライド・ライン所属の「ヒューロン号(SS Huron)」(呼出符号VH)とも連絡がとれ、駆けつけたヒューロン号によりアラパホ号の全員が無事救助された。 また前述のタイタニック号の事故の際には、同号に開設されたマルコーニ国際海洋通信会社の船舶局(呼出符号MGY)が当初CQDを使ったが、途中より国際的な遭難信号SOSも併用した。
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