クラ湾とコロンバンガラ島とは? わかりやすく解説

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クラ湾とコロンバンガラ島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/08 06:31 UTC 版)

ウォルデン・L・エインズワース」の記事における「クラ湾とコロンバンガラ島」の解説

ハルゼー南太平洋軍司令官ダグラス・マッカーサー大将らとの調整経てニュージョージア島の戦い計画進め作戦6月20日から始まった。主にムンダをめぐる戦闘中心であったが、戦闘難航極めたムンダ方面戦線膠着しつつあるのを見てハルゼー支援のためにニュージョージア島北西部新規部隊上陸させて、日本軍背後を突かせることとした。エインズワースは第36.1任務群を率いてアメリカ37歩兵師団三個大隊乗せた高速輸送艦主体とする輸送船団護衛しクラ湾面した地域部隊上陸させる。しかし、第36.1任務群は輸送作戦従事中の第三水雷戦隊秋山輝男少将)の一隊発見されており、一隊輸送作戦止めて魚雷発射し去っていった。第36.1任務群はビラ日本軍飛行場への艦砲射撃行っていたが、魚雷が「ストロング」 (USS Strong, DD-467) に命中し、さらにバイロコの呉第六特別陸戦隊からの砲撃痛めつけられた「ストロング」は沈没し、「「ストロング」が潜水艦撃沈された」と思い込んだエインズワースは、救助作業ののち任務群をまとめてガダルカナル島沖に引き返した間もなくハルゼーから新手の「東京急行」の出動知らされエインズワースは、任務群の顔ぶれを少し改めて「戦闘熱望してクラ湾急行したエインズワース任務群の配置を、「駆逐艦前後配して巡洋艦真ん中に置く」という、ルンガ沖夜戦前にトーマス・C・キンケイド少将アナポリス1908年)が考案した布陣そのまま流用戦術自体は、軽巡洋艦がさきに発砲し魚雷回避のため軽巡洋艦退避させた後、駆逐艦突撃させるというものに改められた。エインズワース旗艦である軽巡洋艦ホノルル」 (USS Honolulu, CL-48) のレーダー第三水雷戦隊をとらえ、「ヘレナ」および「セントルイス」 (USS St. Louis, CL-49) とともに砲撃開始し第三水雷戦隊旗艦駆逐艦新月」に火災発生させて撃沈してもう1隻を大破させたと判断したが、「新月」、「涼風」および「谷風」から発射され魚雷により「ヘレナ」が沈没したクラ湾夜戦)。エインズワースハルゼーに対して景気のよい戦果報告行ったコロンバンガラ島への輸送作戦海戦により打ち切られ日本軍は、第二水雷戦隊伊崎俊二少将)を送り込んで輸送作戦再興する。この動き察知したハルゼーエインズワースに対して再び「東京急行」の迎撃命じる。このとき、第36.1任務群は「ヘレナ」の喪失によりニュージーランド海軍軽巡洋艦リアンダー」 (HMNZS Leander) を編入し巡洋艦3隻体制維持し前衛後衛駆逐艦増強した戦術クラ湾夜戦でのものを止めてキンケイド考案したとおりのものに戻した。第36.1任務群と第二水雷戦隊激突したコロンバンガラ島沖海戦は、第二水雷戦隊旗艦軽巡洋艦神通」に集中砲火浴びせて撃沈したものの、一週間前と同様に魚雷ファランクスによって駆逐艦グウィン」 (USS Gwin, DD-433) が沈没し、「ホノルル」、「セントルイス」および「リアンダー」の3巡洋艦にも魚雷命中してホノルル」と「セントルイス」は艦首破壊され、「リアンダー」は航行不能となった日本軍の輸送作戦阻止できず、第36.1任務群は痛々しく引き揚げた。エインズワース一週間前とは打って変わって控えめ態度徹しハルゼー戦果を知るまでは祝い言葉を言わなかった。月の上半期の間に相手部隊旗艦2隻を撃沈するなどの戦果をあげたエインズワースの第36.1任務群ではあったが、巡洋艦がひどく痛めつけられたため、事実上戦闘からは脱落した一連の戦闘に対してエインズワースには、クラ湾夜戦での功績海軍十字章を、ソロモン方面水上戦全般に対す功績海軍殊勲章それぞれ受章した。しかし、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ元帥アナポリス1905年組)は後年回想で、クラ湾夜戦コロンバンガラ島沖海戦におけるエインズワース戦いぶりについて、以下のように評した。 エーンスワース提督は、二回の海戦において、適当な夜間隊形接敵した。単縦陣巡洋艦部隊中央に、その前後に、それぞれ駆逐艦配備していた。二回とも、エーンスワースの巡洋艦日本艦隊に近迫し、五分間ほど、急射撃浴びせ次いで日本魚雷回避するため針路反転した。これは、理論としては適当であったが、実施の面では二つ欠陥があった。第一にレーダー手が、効果的な射撃配分を示す代わりに、一番大きな艦または最も近い目標だけを選んだので、連合軍部隊双方海戦兵力の点でははるかに優勢であったにもかかわらず各回ともわずかに一隻最初駆逐艦、二回目軽巡洋艦― を撃沈したにすぎなかった。第二に、エーンスワースが自分肉眼容易に目標視認できるほど、日本艦隊近寄りすぎ、しかも射撃開始時機失したため、日本軍慎重に狙い定め魚雷発射することができた。日本魚雷は彼が針路反転しているときに列線到達した。したがって、各海戦において、彼の巡洋艦には転舵中に魚雷命中し、米軽巡ヘレナ」は最初夜戦で、ニュージーランド巡洋艦リアンダー」は二回目夜戦で、ともに行動不能になったのである。二回の海戦で、日本駆逐艦魚雷の次発装填―エーンスワースはこの威力考えていなかった―のため、一時避退し、再び攻撃のためもどって来た。一回目の海戦で、次発装填を終えた駆逐艦は、「ヘレナ」の生存者救助中の米艦を雷撃したが、目標逸した。二回目海戦では、戦場もどった日本駆逐艦は、巡洋艦二隻と駆逐艦一隻魚雷命中させた。巡洋艦損害大きくなかったが、駆逐艦は助からなかった。コロンバンガラ海戦において、エーンスワース提督射撃開始反転し前衛駆逐艦魚雷攻撃のため突撃命じた。すでに砲弾のため航行不能となっていた軽巡神通」を撃沈したのは、これらの駆逐艦であった要するに、アメリカ側は、この海戦において、戦術の面では、前年くらべて大きな進歩示したが、戦闘能力と敵戦闘力対す認識の点では、依然として欠けるところがあった。 — C.W.ニミッツ、E.B.ポッター/実松譲冨永謙吾共訳)『ニミッツ太平洋海戦史170171ページ ニミッツまた、「名前が光っている」「こんどの戦争海戦をもっとも巧みに戦った人たち」としてメリルアーレイ・バークアナポリス1923年組)、フレデリック・ムースブラッガーアナポリス1923年組)の3名を挙げたニミッツ視点では、エインズワースは「こんどの戦争海戦をもっとも巧みに戦った人」とは言えなかった。

※この「クラ湾とコロンバンガラ島」の解説は、「ウォルデン・L・エインズワース」の解説の一部です。
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