アウエルシュタットの戦いとは? わかりやすく解説

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アウエルシュタットの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 06:26 UTC 版)

イエナ・アウエルシュタットの戦い」の記事における「アウエルシュタットの戦い」の解説

10月14日早朝、ダヴーの第3軍団ナウムブルク進発し、西方ケーゼン向かった。同じ頃、ベルナドット第1軍団南方ドルンブルク向かった。そして、プロイセン軍ヴァイマルからエッカーツブルクを経由してナウムブルク向かっていた。 午前6時30分、第3軍団先鋒のギュダン師団ザーレ川渡った午前7時、ギュダン師団はハッセンハウゼン付近プロイセン軍接触そのまま交戦入ったイエナ同様、アウエルシュタット濃霧覆われており、両軍ともに交戦開始時点では敵軍詳細つかんでいなかった。ギュダンは最初交戦捕らえたプロイセン兵を司令部送り、ダヴーはこの捕虜から正面存在するのが敵主力であるとの情報引き出した決戦控えた両軍の戦力以下のとおりであったフランス帝国軍第3軍団27,000名、砲45門) - ダヴー(実際に消耗26,000前後第1歩師団10,000名、砲10門前後) - モラン 第2歩兵師団(7,800名、砲8門) - フリアン 第3歩兵師団(8,000名、砲8門) - ギュダン 騎兵旅団(1,500名) - ヴィアラーネ 軍団砲兵(砲17門) - アニック プロイセン王国軍中央軍63,000名、砲230門) - フリードリヒ・ヴィルヘルム3世ブラウンシュヴァイク公前衛師団(7,000名) - ブリュッヘル 主力軍(31,000名) - ブラウンシュヴァイク公第1師団(9,500名) - オラニエ公ウィレム・フレデリック(のちの初代オランダ王第2師団10,500名) - ヴァルテンシュレーヴェン伯 第3師団11,000名) - シュメッタウ伯 予備軍15,000名) - カルクロイト伯第1師団(7,700名) - キューハイム 第2師団(7,300名) - アルニム投入10,000名) ダヴーはただちに行動開始した。まず、ギュダン師団にハッセンハウゼンを中心とした戦列形成させた。続いて、いまだザーレ川対岸にある後続モラン師団、フリアン師団、ヴィアラーネ騎兵旅団戦場急行するように命じた。さらにベルナドット第1軍団急ぎ支援駆けつけるよう要請した一方プロイセン軍も、ブリュッヘル師団左翼、シュメッタウ師団先鋒右翼とし、ギュダン師団対す戦線形成していった。 午前8時、最初に攻撃仕掛けたのはブリュッヘル騎兵旅団であった。ギュダンは部隊方陣を組ませてこれに対抗したブリュッヘル4度わたって騎兵突撃敢行するも、シュメッタウ師団との連携が十分ではなく、ギュダン師団堅固な方陣全て撃退された。 午前8時30分、フリアン師団戦場到着、ダヴーはこれをギュダン師団右翼に展開させた。同じ頃、プロイセン軍もシュメッタウ師団本隊到着そのまま先鋒合流して戦闘参加した後続部隊は、このシュメッタウ師団中央に展開、ヴァルテンシュレーヴェン師団先鋒右翼、オラニェ師団先鋒左翼についた。この時点プロイセン軍少なくとも25,000名、対すフランス軍15,000名に過ぎなかったが、ダヴーは巧妙に部隊動かしプロイセン軍攻撃ことごとく迎撃した。 午前9時、ヴィアラーネの騎兵旅団到着、ダヴーはこれを右翼投入した。ヴィアラーネ旅団はフリアン師団協力して右翼攻勢強めブリュッヘル師団後退させた。これによって生じた空隙埋めるため、ブラウンシュヴァイク右翼部隊一部左翼移動このためギュダン師団にかかる負担減少した。敵の攻勢の強い左翼をあえて正面から攻めず、右翼をついて支援に向けさせざるを得なくさせたダヴーの戦術の妙であった午前10時、ヴァルテンシュレーヴェン師団本隊到着そのまま先鋒合流して戦闘参加した。これによってプロイセン軍は、カルクロイト軍とオラニェ師団本隊を除く少なくとも30,000名がそろったブラウンシュヴァイクは主攻をハッセンハウゼンに定め総攻撃命令したフランス軍はこの時点16,000名、この日、もっとも戦力比大きくなった瞬間だった。しかし、この状況にあってもダヴーは冷静かつ的確に指揮執り巧妙な部隊機動プロイセン軍攻勢対処した。ギュダン師団一時的に後退させられたものの、フランス軍はこの総攻撃に耐え抜いたのみならずブラウンシュヴァイクとシュメッタウを負傷させた。両名後送されたが、どちらもこの戦傷が元でまもなく死亡した最高司令官であるブラウンシュヴァイク不在は、プロイセン軍指揮系統麻痺させた。次席のカルクロイトがただちに指揮権継承するべきであったが、この時点で彼は戦場到着しておらず、またブラウンシュヴァイク負傷報告届いていなかったため、指揮権継承が行われなかった。プロイセン軍旧式な通信能力致命的な状況招いたのである事実上、この時点プロイセン軍指揮統制崩壊し各部隊指揮官独断交戦することを余儀なくされた。 午前10時30分フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、この日唯一の命令下したオラニエ師団本隊戦場投入したのである。しかし、王はオラニエ師団2分割し、両翼支援にまわすという戦力分散の愚を犯した。これによって両翼一時的に支えることはできたものの、フランス軍効果的な打撃加えることはできなかった。 午前11時、モラン師団到着、ダヴーはこれを左翼投入したモラン師団猛攻をかけ、投入されたばかりオラニエ師団本隊撃破続いてヴァルテンシュレーヴェン師団撃退した。この両師団撃破直後、ようやくカルクロイト軍が戦場到着した。キューハイム師団およびアルニム師団投入されたものの、オラニエ師団とヴァルテンシュレーヴェン師団敗走兵に前進阻まれ迅速な戦闘参加ができなかった。 午前12時モラン師団はさらに前進、シュメッタウ師団側面向かった。この猛攻阻止すべく、ヴィルヘルム王子騎兵旅団モラン師団に対して突撃敢行した。しかし、モラン素早く方陣を組ませ、この突撃全て撃退したヴィルヘルム王子騎兵旅団後退援護失ったシュメッタウ師団もまもなく崩壊したここにおいてダヴーは総反攻命令した。ギュダン師団・フリアン師団反撃転じ指揮系統崩壊して連携取れないプロイセン軍次々と撃破した。キューハイム師団アルニム師団友軍後退援護すべく、第3軍団前に立ちはだかるも、あえなく撃退された。第3軍団勢い乗じてプロイセン軍一挙にアウエルシュタットまで押し込んだ午後1時までにプロイセン軍組織的抵抗終了していた。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の手元に若干予備兵力が残っていたが、すでに戦意喪失していた王は、これを投入することなく退却開始させた。第3軍団は夜まで追撃続行しプロイセン軍損害増大させた。 このアウエルシュタットの戦いで、フランス軍第3軍団は総兵力4分の1にあたる7,000名を失った。しかしこれに対しプロイセン軍兵員13,000名、砲115門という多大な損害出していた。ダヴーの第3軍団は、実に2倍の敵軍相手取り、2倍の損害与えたのであるこれほど兵力差を覆した戦例戦史上でも稀であり、ナポレオン戦争中には他に一例もない。フランス軍の質が勝っていたことも勝因一つではあるが、ダヴーの傑出した戦術指揮能力なければこの勝利はありえなかったであろう

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