その他の遺伝子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:46 UTC 版)
縄文人の起源には複数の説がある。一部の説は東南アジアを、別の説は北東アジアを可能性のある起源であるとしている。一方、他の説は東アジアそのものを起源としている。最新の遺伝学的研究は、縄文人はユーラシア大陸各地の集団によって形成された、としている。 HLA IおよびHLA II遺伝子とHLA-A、-B、および-DRB1遺伝子頻度の分析からは、アイヌとアメリカ大陸の先住民、特にトリンギットなどの太平洋岸北西部の集団との類似性がみられ、アイヌ民族とアメリカ先住民のグループの主な祖先は、南シベリアの旧石器時代の集団にまで遡ることができると示唆された。 縄文人は、世界各地の集団と比較した場合、アフリカ人、ヨーロッパ人、サフール人(オーストラリア-メラネシア)、アメリカ先住民の集団よりは比較的東アジア人の集団に近い。ヒトゲノム多様性プロジェクト(英語: Human Genome Diversity Project)(HGDP)のデータを用いた全ゲノムに渡るSNP(一塩基多型)の比較においても、三貫地貝塚から出土した縄文人集団は現代東ユーラシア人全てと遠く離れており、その特異性が示された。東ユーラシア人内における三貫寺縄文人集団の特異性は、ヨーロッパ人やアフリカ人と比べても同様であった。日本列島のアイヌ、本土日本人、琉球諸島の集団、そして北京の中国人(CHB28)を三貫寺の縄文人と比較した統計分析の場合、第一主成分でアイヌと三貫寺縄文人が他の集団と分けられた。三貫寺縄文人に最も近かったのはアイヌで、次いで琉球諸島の集団、そして本土日本人であった。 今日ではほとんどの科学者は縄文人はユーラシア大陸の複数の集団の子孫であると考えている。標本の得られた縄文人の系統群は、東アジア人を含む他の人類集団と遺伝的に距離がある。しかし、東アジアの沿岸部の集団との共通点も一部ある。その集団は本土日本人、ウリチ人、朝鮮人、台湾先住民である。 近年の遺伝学的及び形態学的研究を概観した論文でも縄文人が複数の起源を持つ事が示唆されている。 早稲田大学のリーおよびハセガワの研究では、縄文時代の北海道には二つの異なる集団がいた、と結論づけている。彼らはさらに踏み込んで、日本人形成の歴史についての「二重構造説」は見直される必要があり、縄文人は旧来考えられていたよりも多様性がある、と結論づけた。 2020年に行われた全ゲノムの解析においては、縄文人の起源に関する更なる情報が示された。縄文人は様々なルートで日本に移住した様々な古代の人類集団の子孫である事が分かった。縄文人は主に現在まだ標本の得られていない古代ユーラシアの集団、そして様々な東アジアに関連した集団から形成されている。この遺伝学的解析の結果が示すのは、旧石器時代に既に日本において異なる集団間の混血が起こり、その後も絶え間なく東アジア沿岸部からの遺伝子の流入があり、その結果多様性のある集団となり、弥生人が到来する前に均質化した、という事である。チベット高原からの遺伝子の流入も検出され、ハプログループD1a2a (Y染色体)と関連している。このグループは縄文時代後期になって初めて日本における優勢なハプログループとなった。伊川津貝塚から出土した縄文人の標本一体、及びチベット高原の古代の標本の分析からは、両者の間には部分的な共通祖先が発見されただけであった。これは古代チベット高原の集団及びチベット・ビルマ語派の集団に関連するハプログループDが拡散する際に、正の遺伝的ボトルネックが起きたことを示している。 2020年にケンブリッジ大学出版局が発行したある研究では、縄文人は均質ではない集団であり、弥生人が移民するよりも古い紀元前6,000年前頃に北東アジア人の移民があり、その集団が大平山本遺跡などの初期の土器文化に代表される縄文時代草創期の文化をもたらした、と示唆している。その研究者たちは更に、弥生人の到来の前にオーストロネシア人が日本の南端(特に先島諸島)にいた可能性について言及している。 Cookeらによる2021年の全ゲノム分析。 現在分析されているすべての縄文人サンプルと他の集団との系統発生関係を再評価し、縄文人の系統は紀元前15、000年から2万年の間に現代の東アジア人から分裂し、外部の集団から大部分が孤立したと結論付けました。 著者らはその後、縄文人が後期旧石器時代の大陸の人々と接触したかどうかを分析しました。 分析によると、縄文人は、古代北ユーラシア人としても知られる、ヨーロッパに深く関係する北シベリアの旧石器時代後期旧石器時代のヤナRHSサンプルに関連する集団から混合物を受け取り、最終氷期最盛期以前に北ユーラシアに広まった。 現代の日本人の間で推定される縄文人の祖先は、平均9.31%と推定されています。 2022年にメリンダA.ヤンが行ったアジアの人々に関する研究では、縄文人は「東南アジア」(ESEA)系統の他の人々と密接に関係していることがわかりました。 このESEAの血統は、現代のすべての東アジアおよび東南アジアの人々、シベリアの先住民、アメリカ大陸の先住民、そして古代のホアビニアンの血統と田園洞人のサンプルの祖先です。 ただし、オーストラリア人やヨーロッパ人とは異なります。 縄文人は、東アジアの北部と南部の沿岸のサンプル、および中国南部(Longlin)の古代のサンプルに全体的に最も近いです。 縄文人は漢民族に代表される大陸のアジア人集団と比較的古い時期に分かれ、それは約3万8000年前から約1万8000年前までの間とみなすことができた。縄文人の遺伝的要素を持つ人々は日本列島のみならず、ロシア沿海州、朝鮮半島、台湾など東アジアの沿岸部等にも少なからず存在することが判明し、こうした要素を持つ人たちが大陸沿岸部に分散する中で一部が日本列島へ渡ってきた可能性が高そうだが、現状では日本列島の縄文人が大陸沿岸部に広がった可能性も否定できない。
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