けがれ
★1a.死者の国を訪れた後には、水でけがれを洗い落とさねばならない。
『古事記』上巻 黄泉の国から帰って来たイザナキは、「まことに不快な汚い国であった」と言って、筑紫の日向(ひむか)の橘の小門(おど)の阿波岐原に行き、禊(みそぎ)をした。イザナキは水に入ってけがれを洗い落とし、その過程で多くの神々が生まれ出た〔*『日本書紀』巻1・第5段一書第6および第10に類話〕。
『神曲』(ダンテ)「煉獄篇」第1歌 「私(ダンテ)」は、詩人ヴェルギリウスの霊に導かれて地獄を巡った後、地上へ出て、煉獄の山への入口である島まで来た。夜明け頃だったのでヴェルギリウスは、岸辺の藺草の上におりた夜露で「私」の顔をぬぐい、地獄のけがれを洗い落としてくれた。
『唐物語』17 尭(ぎょう)という帝が許由(きょゆう)に位を譲ろうと思い、彼を3度召した。許由は「穢いことを聞いた」と言って、穎水(えいすい)という川で耳を洗った。巣父(そうほ)は牛を追いつつ穎水まで来たが、「穢いことを聞いて耳を洗った流れなどに、けがされてたまるものか」と言い、遠回りして穎水を避けた。
★1c.「罪」も、けがれと同様に、水で浄化されると考えられていた。
『祝詞』「六月の晦の大祓(みなづきのつごもりのおほはらへ)」 この世の人々が犯したさまざまな罪は、速川の瀬にいるセオリツヒメという神が大海原に運んで行く。それを、潮流の集まる所にいるハヤアキツヒメという神が呑み込み、気吹戸(いぶきど)にいるイブキドヌシという神が、根の国・底の国に吹き放つ。そして根の国・底の国にいるハヤサスラヒメという神が、罪を持ってさすらい、棄てて失(な)くしてしまうのである。
『海士(あま)』(能) 讃州志度の浦の海士(=海女)が、海底の龍宮に奪われた面向不背の玉を、取り戻して逃げる。龍たちが追って来るので、海士は剣で自らの乳房の下を切って玉を押し入れ、倒れ伏す。龍宮では死人を忌むゆえ、龍たちは近づくことができない。船上の夫・藤原淡海大臣が、瀕死の海士を綱で引き上げ、玉を得る。
*『南総里見八犬伝』の、伏姫が腹をかき切り、数珠玉が虚空に浮かぶ物語の原形か?→〔性交〕8。
*『茶の本』(岡倉天心)第5章「芸術鑑賞」には、武士が腹を切って体内に絵を押し込む物語がある→〔腹〕2c。
『今昔物語集』巻29-17 摂津国の小屋寺にやって来た老法師が、鐘撞き堂の下で死んだふりをして横たわる。僧たちが、死のけがれにふれることを恐れて遠ざかっていると、老法師の子と称する男たちがあらわれ、死骸を運び去り葬るように見せかけて、寺の鐘を盗んでいく〔*『十訓抄』第7-23に類話〕。
『十訓抄』第1-33 北山で花見をする人々が、ある御堂に入ろうとしたのを、源俊賢が止めて「けがれがあるかもしれぬ」と言い、下人に見に行かせた。すると中門の廊の前に車があり、死人が乗っていた。「御堂に入ったら、けがれにふれただろう」と俊賢は自讃した。
*死のけがれなど、まったく恐れぬならず者たち→〔葬儀〕4の『通夜』(つげ義春)・〔踊り〕4の『らくだ』(落語)。
『平家物語』巻12「大地震」 後白河法皇が東山の新熊野(いまぐまの)神社へ御幸された時、大地震が起こった。多くの人が死に、けがれに触れたため、法皇は身を慎み神事を遠慮して、六波羅殿(*史実では六条殿)へ還御なさった。
★4.産のけがれ。
『続古事談』巻4-3 陪従(べいじゅう。=楽人)知定は、産のけがれに触れて20余日後に岩清水八幡宮の神楽を勤めたが、無事にすんだ。それで続けて臨時祭に参上したところ、舞殿で鼻血が出たので、恐れて退出した。知定の10歳ほどの娘に神の使いが乗り移り、「産婦を抱いて寝たからだ。産後33日は慎まねばならぬ」と教えた。
『御堂関白記』(藤原道長) 長谷寺参詣のために、数日来、潔斎を続けていた。しかし邸内に、犬の出産によるけがれが発生したので、潔斎を中止し参詣も取りやめた〔長保元年(999)8月27日〕。犬の出産があって、邸内にけがれが発生したので、そのことを知らせる札を門前に立てた〔長保2年(1000)正月13日〕。
『宇治拾遺物語』巻1-1 道命阿闍梨が和泉式部と寝た後に、ふと目覚めて『法華経』を読誦していると、五条西洞院の道祖神が現れて、礼を述べた。「いつもは、梵天・帝釈天をはじめ高貴な方々が聴聞なさるので、私などはおそばへ寄れません。今宵あなたは、行水で身を清めることをなさらなかったため、梵天・帝釈天も聴聞なさいません。それで私は、おそば近くで聴聞することができました」。
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