『帝国の慰安婦』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 05:10 UTC 版)
第15回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞贈呈式における講評で選考委員の作家鎌田慧は「『従軍慰安婦と軍隊』という関係からではなく、『帝国主義』という枠組みの中で、人間の精神がどうなっているのか、という問題を掘り起こしてきた作品」であるとし、「歴史は記録をいろいろな教訓として整理してしまう、それをもう一度掘り起こして腑分けしてゆく、という冷静な作業が、得てして感情的な記録を作りたい人からは『冷静すぎる』と批判される」かもしれないが、「この作品は、今後の日韓関係の中に自立している本」であり、「歴史的な作品」であると評価した。 東京大学名誉教授の田中明彦は2015年11月の『帝国の慰安婦』の毎日新聞アジア太平洋賞受賞に際しての選評で、同書を「慰安婦問題についての、全面的、実証的、理性的、かつ倫理的な分析である」とし、「本書ほど、この問題のすべての側面を理性的に検討した本はない。歴史的な慰安婦発生の構造とその実態の解明から、『慰安婦問題』の発生、これに対する韓国と日本における政治過程や、それぞれにおける『記憶』の生産と再生産の分析、さらには、今後の問題解決に向けての提言まで」「傾聴に値する文章でつづられて」おり、「『性奴隷』か『売春婦』かという認識に対しても、そして『強制性』の問題についても、安易な単純化を許さない多面的な側面を明らかにしている。女性を『手段化』『モノ化』『道具化』する構造への強い批判とともに、その中で人間として生きている人々への共感を示す。これが本書の叙述の中核である」と評価している。 歴史学者の鄭栄桓は、著書について、「証言や資料のつぎはぎと、そのつぎはぎされた資料群からすらも導きだせない根拠なき解釈――しかも元「慰安婦」たちが日本軍に「同志意識」を持っていたという重大な解釈――を展開」していると評している。 法学者の前田朗は、「「慰安婦」強制の直接実行者が主に民間業者であったことは、当たり前の認識であり正しい。ならば民間業者の責任を問う必要があるが、著者はそうしない。民間業者を持ち出すのはひとえに日本政府の責任を解除するためだからである」、「植民地支配の責任を問うべきであるが、著者はそうしない。植民地に協力した<愛国的>努力を勧奨するからである」と評している。 法政大学社会学部教授奥武則はWebRonzaの書評で次のように述べている。「著者は、『慰安婦問題』をこうした『政治』と『運動』の中での語りから解き放つことを試みる。その出発は《「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませること》(日本語版への序文)だった。その結果、本書は『慰安婦問題』について『韓国の常識』『世界の常識』に異議申し立てをするものになった。中国をはじめアジア各地に膨大な数の兵隊を送り、『慰安婦』を必要とした日本軍がその募集や移動に関与したことは今日明らかである。しかし、著者は『日本軍に強制的に連行され、性奴隷とされた20万人の少女たち』という、韓国でそして世界で語られる『慰安婦問題』の理解が、『政治』や『運動』の中で形作られた〈公的な記憶〉であることを繰り返し指摘する。」 作家で明治学院大学教授の高橋源一郎は朝日新聞掲載の「論壇時評」(2014.12.25)で「記憶の主人となるために」と題して、著書について次のように述べている。「感銘を受けた、と書くのもためらわれるほど、峻厳さに満ちたこの本は、これから書かれる、すべての『慰安婦』に関することばにとって、共感するにせよ反発するにせよ、不動の恒星のように、揺れることのない基軸となるであろう、と思われた。そして、同時に、わたしは、これほどまでに孤独な本を読んだことがない、と感じた。いや、これほどまでに孤独な本を書かざるを得なかった著者の心中を思い、言葉を失うほかなかった。」
※この「『帝国の慰安婦』」の解説は、「朴裕河」の解説の一部です。
「『帝国の慰安婦』」を含む「朴裕河」の記事については、「朴裕河」の概要を参照ください。
- 『帝国の慰安婦』のページへのリンク