「善戦ホース」となるとは? わかりやすく解説

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「善戦ホース」となる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 15:50 UTC 版)

ナイスネイチャ」の記事における「「善戦ホース」となる」の解説

11月3日迎えた菊花賞では前走で破ったイブキマイカグラに次ぐ2番人気支持されたが、周回2周目の第3コーナーから追走苦労し始め直線でも伸びきれずレオダーバンの4着に終わった。夏から使い詰めであったものの競走後疲労見られず、12月には鳴尾記念出走し重賞3勝目挙げる年末にはグランプリ競走有馬記念臨んだ当日2番人気推され松永は1番人気のメジロマックイーン目標定め、同馬をマークしながらレース運んだ。しかし最後直線では突き放されると、後方からメジロマックイーンをも差し切った14番人気伏兵ダイユウサクの3着に終わった。これが有馬記念最初の3着となった年明けから持病骨膜炎悪化し古馬となった1992年春は全休余儀なくされる10月天皇賞(秋)前哨戦毎日王冠から復帰し、3着。本番天皇賞(秋)ではトウカイテイオーに次ぐ2番人気推されたが、レッツゴーターキンの4着。以後マイルチャンピオンシップ3着、有馬記念2年連続の3着、年明け日経新春杯2着、阪神大賞典3着、大阪杯2着と勝ちきれない成績続き大阪杯の後には骨折のため休養入った秋に毎日王冠から復帰したが、前年引き続き3着。天皇賞(秋)ライスシャワーに次ぐ2番人気支持されたが、最後直線追い出される急激に失速し15着とデビュー以来初めての大敗喫した。続く国際招待競走ジャパンカップも7着と敗れた3年連続出走となった有馬記念では当日10番人気評価であったが、レースでは中団でトウカイテイオー並んでレース進めると、最後直線では激し競り合い演じたトウカイテイオービワハヤヒデの3馬身後方で、追い込んできたマチカネタンホイザアタマ抑え3年連続の3着となったグランプリにおけるこの記録は「怪挙」、「異業」などとも言われ、「有馬記念3年連続3着」はナイスネイチャ代名詞ともなっていった。競馬評論家井崎脩五郎血統評論家吉沢譲治ライター阿部は、この出来事についてそれぞれ次のように述べている。 ナイスネイチャといえばなんといっても、「有馬記念における3年連続の3着」である。これが2年連続の3着なら、まあ、たまにはそういうこともあるだろうなあという程度で、誰も驚かないと思うのだが、3年連続の3着というのはすごい。ケタの違うインパクトがある。「私は自他ともに認める日本一ジリ脚です」と看板出してしまったようなものだ。相手違いペース違い位置取りだって違ったのに、終わってみたら3年とも3着だったのである。しかも、3年目の3着は、人気連動していないのだ。10番人気で3着に追い上げてきたのであるナイスネイチャ2年連続で3着しているが、今年はこの成績では上位入線は無理だろうとみんなが思っているところへまさかの太さで3着に追い上げてきたから、みんなビックリしてしまったのだ。有馬記念における伝説ひとつとして語られることになってしまったのである。ひと口で言えばジリ脚なのだが、3年連続3着となっているのがグランプリ有馬記念だけに、大舞台でよくこんな記録作ったものだなあという一種畏敬の念含んでジリ脚ながらも頑張ったことに対す親愛の情とともに語られることになったのである。 — 井崎脩五郎 生まれた時代悪かったのか、それとも能力限界だったのか、GI3着が指定席有馬記念至って3年連続3着。名脇役というより迷脇役だった。やっぱり複勝ドカン勝負すべきだったと、いまだに悔いている。 — 吉沢譲治 有馬記念3年つづけて出走するのも容易なことではないのに、3度3着をつづけるというのはそれなりの力量があるという証拠で、評価しなければならない。 — 阿部 7歳となった1994年初戦アメリカジョッキークラブカップでは7着と敗れ、続く大阪杯では2着と好走したが、GI競走天皇賞(春)宝塚記念はいずれも4着と、掲示板(5着以内確保に留まった。 7月10日GII競走高松宮杯出走前年日本ダービー優勝ウイニングチケット宝塚記念2着のアイルトンシンボリらが揃うなか、初めメンコ覆面)を外して出走したナイスネイチャは、中団待機から向正面5番手まで位置上げると、最後直線競り合うスターバレリーナマーベラスクラウンアイルトンシンボリ交わして1着となり、4歳時鳴尾記念以来2年7カ月ぶりの勝利を挙げた当日中京競馬場には、競馬ブーム起こしたハイセイコー出走した1974年以来となる65159人の観客集まっており、ナイスネイチャに対してGI競走匹敵する声援送られた。松永昌博は「ネイチャや関係者、そして負けて負けて応援してくださったファンの皆さんのことを思うと、とにかくホッとしました」、松永善晴は「もう勝てないのではと思うこともありましたここまでチャンスいくらでもあったのですが、取りこぼしありましたからね。勝ってホッとしたというのが本音です。ここまで声援送って下さったファン皆様心からお礼言いたいです」と語った休養後の秋は緒戦から掲示板を外す成績続き4年連続出走有馬記念では第3~4コーナー位置押し上げたものの直線伸びきれず、5着に終わった。翌1995年1月馬主の豊正雄が死去ナイスネイチャ売却話持ち上がったが、当年初戦京都記念で2着と健闘し、豊息子・泰三に所有引き継がれることとなった

※この「「善戦ホース」となる」の解説は、「ナイスネイチャ」の解説の一部です。
「「善戦ホース」となる」を含む「ナイスネイチャ」の記事については、「ナイスネイチャ」の概要を参照ください。

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