「喜劇の戦争」勃発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 08:45 UTC 版)
1663年、「女房学校」を巡って、モリエールと作家たちの間で応酬が起こった。批判の言葉を並べるなど、直接的な方法ではなく、あくまで喜劇の形を借りての応酬であるのが特徴的である。この戦争は、以下のような経過をたどった。 1月、ニコラ・ボアロー=デプレオー、「モリエールに与える詩」でモリエールを讃美 2月、ジャン・ドノー・ド・ヴィゼ、作品「ヌーヴェル」にて攻撃 6月、モリエール「女房学校批判」にて反駁、演劇に対する自説を主張。この自説がコルネイユ兄弟らの怒りを買う。 8月、ヴィゼ「ゼランド、またの名を真の女房学校批判」で再び攻撃 10月、ブールソー参戦。「画家の肖像」にて攻撃 同月、モリエール「ヴェルサイユ即興劇」で再度反駁 11月、ヴィゼ「ヴェルサイユの即興劇への返答、あるいは侯爵達の復讐」で攻撃 モンフルーリの息子アントワーヌ、「コンデ公邸での即興劇」にて攻撃 1664年3月、フィリップ・ド・ラクロワ (Philippe de Lacroix)、「喜劇の戦い、またの名を女房学校の弁護」にて擁護 1665年までにヴィゼ、コルネイユ兄弟らと和解 また、「女房学校批判」において展開されたモリエールの主張と反論は以下の4点にまとめることができる。1点目がコルネイユ兄弟の心証を害し、不和を招いた。 1、喜劇は悲劇と比較しても、決して劣ったジャンルではないこと。生きた人間をありのままに描いて、滑稽味を加えねばならない喜劇に対して、悲劇は実在の人間らしさを感じさせなくても問題とならないし(英雄を描くときなど)、大げさな文句や韻文を用いて感情を表現できるため、容易である。2、演劇理論に対する態度について。三一致の法則など、理論から外れて制作された芝居が観客に喜ばれ、理論に則って作られた芝居が受けないとすれば、それは理論自体が間違っているということ。3、表現について。芝居における表現方法とは何も外面的なものばかりではなく、心理的なものも存在するということ。4、演技について。誇張された演技を排除し、自然な発声、わざとらしさを感じさせない演技の必要性を強調すること。
※この「「喜劇の戦争」勃発」の解説は、「女房学校」の解説の一部です。
「「喜劇の戦争」勃発」を含む「女房学校」の記事については、「女房学校」の概要を参照ください。
- 「喜劇の戦争」勃発のページへのリンク