「ベンチがアホやから野球がでけへん」
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「江本孟紀」の記事における「「ベンチがアホやから野球がでけへん」」の解説
江本の現役引退のきっかけになったとされる「ベンチがアホやから野球がでけへん」という発言については、以下のような周囲の証言があり、それらに伴って江本自身の発言にも変遷が見られる。 1981年8月26日の対ヤクルトスワローズ戦(甲子園)に先発した江本は、7回まで1失点と好投して試合を作るが、4-1と3点リードで迎えた8回表に、一死から四番大杉勝男に単打、五番杉浦亨に二塁打を浴び、つづく六番渡辺進の単打で大杉が生還して4-2と2点差に迫られた。ここで藤江清志投手コーチがマウンドへ向かったが江本は降板せず、七番八重樫幸雄を三振に打ち取り(この間に渡辺の代走羅本新二が二盗)、二死二・三塁で八番水谷新太郎を打席に迎えた。九番は投手の西井哲夫なので、水谷と勝負するのか、敬遠して満塁にするのか、あるいは投手を交代するのか、ベンチからの指示を待つため阪神バッテリーと内野陣(藤田平、岡田彰布、掛布雅之、真弓明信)はマウンドに集合したが、中西太監督は何の指示も出さずにベンチ裏へと引っ込んでしまった。そこで江本は仕方なく、笠間雄二捕手に中腰に構えるよう指示し、様子見のため初球は高めに外して阪神ベンチに考える時間を与えようとしたが、その外し球を水谷に狙われて2点適時打を浴び、4-4の同点に追いつかれてしまった。 同点に追いついたヤクルトは西井をそのまま打席に送り、江本は西井を三振に打ち取ってこの回を終えたが、憤懣やるかた無い江本は、マウンドから一塁側のベンチに戻る際にグラブを投げつけるとそのまま球場の2階にあった選手用のロッカールームへと向かい、その途中で怒りに任せて激しく怒鳴り散らした。江本は興奮状態であったため実際に自分が何と叫んだのかは正確には覚えていないといい、この時に江本に付き添っていた猿木忠男チーフトレーナーによれば「くそっ。バカッ。何を考えとんねん。このくそベンチ!」と言っていたが、それが翌日のスポーツ新聞各紙では「ベンチがアホやから野球がでけへん」という有名なフレーズに変化したのだと自著で述べている。 サンケイスポーツへの入社3年目に阪神担当記者として上記の発言に接した田所龍一は、産経新聞大阪本社の運動部長に就任した2009年に、同紙の署名記事で一部始終を回顧している。降板直後の江本の発言を取りにベンチ裏へ向かったところ、通路からロッカールームへ向かって田所の視界から消えたところで江本が「アホやから」と大声で叫んだという。その発言を田所から報告されたサンケイを含む各紙のキャップ記者たちは、発言をそのまま活字にすれば「エースによる公然の首脳陣批判」という大事に発展してしまい、単なる江本の愚痴や独り言では済まなくなってしまうので、江本へ囲み取材を行って発言の真意を質したところ、江本は発言を「公式のもの」として認めた、という経緯を明かした。また、江本が阪神を退団した翌日に、田所が江本の自宅を訪れたところ「アホやのう。お前がまだ通路の入口で立っとると思ったから、わざと聞こえるように言うたんや。お前のせいで辞めたんやない。気にするな」と慰められたことも紹介した。 フリーアナウンサーとして当時『サンテレビボックス席』で阪神戦中継の実況を担当していた西澤暲も、担当を離れた後の2014年に著した「阪神戦・実況32年。」(講談社)で、江本の発言前後の状況に触れている。西澤は試合の当日に、翌日に控えていた実況向けの取材を兼ねながら、甲子園球場の放送ブースで観戦していた。ところが、マウンドを降りた後の江本の様子にただならぬ気配を感じたことから、ロッカールームに向かう階段の踊り場で待機。やがれ、江本がスポーツ紙の阪神担当記者と共に姿を現すと、顔なじみのよしみで「エモ、お疲れさん」と声を掛けた。西澤によれば、この直後に江本が「ベンチがアホやから、やってられませんわ」と言い放ったため、「若い記者のいる前でそんなことを言っちゃダメだ」と言いつつ、2人だけでやり取りを続けたという。 江本自身の発言を見ると、引退直後の1982年に刊行した「プロ野球を10倍楽しく見る方法」では、「ベンチがアホやから野球がでけへん」という発言は自らの発言ではないと明確に否定していた。その後も複数の著書において「そういうセリフは言っていない」 と否定したり、「人に言わせると…」と間接的に否定 していた。 しかし、上記の田所と西澤の証言が出た後の2014年には自らの発言であることを認め、その背景を以下のように述べている。 当時監督だった中西太とは、1979年キャンプでの練習中、打撃コーチだった中西が狭いスペースで練習を始めさせ、打球が別の練習をしていた選手を直撃した事件があり、江本は「選手会長だから中西さんに文句を言った。それだけならまだ良かったんですが、のらりくらりとした中西さんの態度に腹が立ち、熱くなって煙草まで投げつけてしまった。以来、犬猿の仲でした。そんな中西さんが翌年から監督になったものだから、シーズン中、先発だリリーフだとめちゃくちゃな起用されてきた。そんな伏線があった上で迎えたのが8月26日のヤクルト戦でした。あの発言は積もり積もった恨みに対するものだったんです。議員をやったり、指導者をやったりして、自分も人に何かを伝える側に立った時、ふと中西さんの気持ちが分かるようになったんです。人間は立場によって言いたくないことも言わなければならない。私のように生意気な選手には、中西さんは厳しく接するしかなかった。そうしなければ監督としての威厳が保てなくなり、チームは機能しなくなっていたでしょう。」と述べている。また、『しくじり先生』(テレビ朝日)の2017年4月30日放送分へ出演した際 には、田所や西澤の名は伏せながらも、ベンチからロッカールームに向かう階段の2段目で吐いた「(中西は)何を考えとるんや?アホか!」という独り言を居合わせた記者に聞かれたことを明かしている。 江本が降板後に阪神ベンチの方向へグラブを投げた瞬間をベンチ側から映したモノクロの報道写真は、現在でもこのエピソードを紹介する際に、「(江本が暴言を吐く)決定的瞬間が見られる唯一の証拠資料」として引用されている。江本によれば、ベンチへ投げ付けるつもりだったグラブがベンチ前のフェンスに当たってグラウンドへ跳ね返ったため、改めて一塁側の内野スタンドにグラブを投げたという。このグラブをスタンドで受け取った観客が後日、水島新司(南海時代の江本・野村・江夏などが実名で登場する野球漫画『あぶさん』の作者)へグラブを見せたところ、水島はグラブに江本の似顔絵を描いた。さらに、上記の観客がこのグラブを『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)へ持ち込んだところ、スタジオゲストとして出演していた江本の目の前で、「60万円の価値がある」という鑑定結果が示された。
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