「ペイシェント・ゼロ」ガエタン・デュガ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:33 UTC 版)
「インデックス・ケース」の記事における「「ペイシェント・ゼロ」ガエタン・デュガ」の解説
詳細は「ガエタン・デュガ(英語版)」および「ゼロ・ペイシェンス」を参照 AIDS流行の最初期、アメリカ疾病予防管理センター (CDC) のウィリアム・ダロウ(英語版)らのチームは、「ペイシェント・ゼロ」から伝染が起きたというシナリオを考えていた。CDCは、カナダ人のガエタン・デュガ(英語版)がヨーロッパからアメリカへウイルスを持ち込んだキャリアで、別の男性へ感染を広げたと特定した。発表された疫学研究は、「ペイシェント・ゼロ」がどのようにヒト免疫不全ウイルス (HIV)を複数のパートナーへ感染させたか、そして彼らがさらに別人に感染させ、このウイルスがどれだけのスピードで全世界に広がったかを示すものだった (Auerbach et al., 1984)。 ジャーナリストのランディ・シルツ(英語版)はダロウらの発見に基づいて、1987年の著書『そしてエイズは蔓延した(英語版)』で、デュガこそがペイシェント・ゼロだとした。この本はピューリッツァー賞を受賞し、後に『運命の瞬間/そしてエイズは蔓延した』として映画化された。。シルツの著書に拠れば、客室乗務員だったデュガは北アメリカの複数の都市の有料発展場で乱交を行っていたという。デュガはゲイ男性間のHIV感染を広めた人物として広く知られ、「マス・スプレッダー」(英: "mass spreader")として中傷された。4年後、ダロウは研究のメソッドと、シルツが結論に至った過程を批判するに至った。 2007年に投稿された論文では、遺伝子解析に基づき、現在北アメリカで流行しているHIVの系列は、アフリカからハイチを辿って1969年頃にアメリカへ入ったものと推定され、そのソースは1人の移民だったと結論付けられている。しかしながら、ミズーリ州セントルイスでAIDS合併症により1969年に死亡したロバート・レイフォード(英語版)は、1966年以前にHIV感染したと考えられており、北アメリカのHIV系列最初期のキャリアとされている。これにより、デュガが北アメリカにHIVをもたらしたのではなく、多くの患者の1人にすぎなかったことがあらためて立証された。
※この「「ペイシェント・ゼロ」ガエタン・デュガ」の解説は、「インデックス・ケース」の解説の一部です。
「「ペイシェント・ゼロ」ガエタン・デュガ」を含む「インデックス・ケース」の記事については、「インデックス・ケース」の概要を参照ください。
- 「ペイシェント・ゼロ」ガエタン・デュガのページへのリンク