アゴラ
アゴラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/13 14:14 UTC 版)
東の谷には公共の建物の遺跡がある。ペリスタイルを持たず、祭壇が内部にある紀元前5世紀の最初の10年間に建てられた神殿、紀元前4世紀に建てられ紀元前3世紀中に焼けた穀物倉庫である。この建物はアゴラと同じ高さの床面をもっている。倉庫の基礎を作る際の奉納物も発見されており、典型的なデーメーテール神の様式である。建物には石と石膏が使われている。最近の発掘では、岩に掘られた大きな部屋や紀元前4世紀後半の奉納物などが見つかっている。 アゴラ
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アゴラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:02 UTC 版)
ローマ劇場の近くにはまた大きなアゴラ(取引場)があり、幅84メートル、奥行71メートルのフォルム(広場)に該当する中庭にイオニア式の柱廊が巡らされ、北の柱廊の四隅には貯水槽がある。1939-1940年にフランス調査隊により発掘され、演壇の礎石も認められる。かつて壁面や円柱の持ち送りに掲げられていた彫像は残存しないが、その人物の献辞を記した碑文が数多く認められる。アゴラの入口は11か所あるが、柱廊の東側中央の大きな入口には、皇帝セプティミウス・セウェルスとその家族らの彫像が飾られていた。
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アゴラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 05:01 UTC 版)
「ニコポリス・アド・イストルム」の記事における「アゴラ」の解説
都市の中央にある集会場所の (アゴラ) は、西部と東部の2つの相互接続された部分で構成されている。馬に乗ったトラヤヌス帝像や他の大理石の彫像があった。正方形の東側は吹き抜けの開放的な空間 (Area) で、そこには台座の付いた銅像がある。西側は四方に囲まれていて、イオニア様式の回廊式の柱廊 (Kolonnade) の吹き抜けの遺跡が残っている。人々がそこに集まるのは、そこが囲りを囲んでいる通りより高くなっているからである。 3つの身廊を持つ (長方形の平面を持ち、内部にクリアストーリ(採光用の高窓)と列柱のアーケードを盗聴とする) バシリカ様式の建築物、議場 (Buleuterion) 、キュベレー寺院、小さな劇場 (Odeon)、商店と散歩や仕事の打ち合わせの為の密閉された空間が暖房で暖められた建物のテルモペリアトス (termoperiatos) はもちろんテルマエ (Thermae) もユニークなローマ様式の建物である。 いくつかの町の家々や建築物も発掘されている。 広場の周りを見ると、アゴラの北西には、おそらく議場であろう建物を含む建物が立ち並んでいた。南西には、400席の室内劇用の小さな劇場があった。それは基本的に長方形の形をしていた。多くの観客を入れる大劇場は放射状に配列されたセクターに分割されていた。更に、通りには公衆トイレがあった。 巨大な敷石で舗装した古代の大通りとその脇の歩道を、今日もなお見ることが出来る。中央通りには点検用のマンホールを備えた下水道システムがあり、またスチームヒーターで加熱した野外の舗装路があった。この道に沿っておそらくエキゾチックな植物が栽培されたと考えられる。 ニコポリス・アド・イストルムでは、ブルガリアでは唯一となるハート型断面の柱が発見された。 娯楽の為に剣闘士の試合と野生動物を追いかける狩りがあった。 この都市はキリスト教の主教座聖堂があった。
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アゴラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/13 07:54 UTC 版)
現在では敷地の基礎部分のみが残るこの遺跡は、四方をポルティコ(列柱廊)で囲まれた広場であった。アゴラの西側にはオデオンとアスクレペイオンが隣接している。 アゴラ オデオン
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