Superman Lives
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「スーパーマンの映画作品」の記事における「Superman Lives」の解説
1996年8月にケヴィン・スミスが新たな原案をワーナーに渡すと、3つの条件を満たすことで脚本執筆が認められた。ピーターズはスーパーマンが黒ずくめのスーツを着て、空を飛ばず、「ボーイスカウトがそのまま成長したかのように見える」ことを望んだ。スミスはスーパーマンの飛行を、原作で表現されているような「赤と青の軌跡を描いて、飛行のたびにソニックブームを生み出す」ように表現した。また、ピーターズはクライマックスで巨大な蜘蛛を登場させたがった。スミスはこの条件も受け入れた。ピーターズとワーナー・ブラザースはまたブレイニアックと白熊が戦う場面をスミスに書かせた。のちにピーターズは『ワイルド・ワイルド・ウエスト』で蜘蛛型ロボットを登場させてアイデアをリサイクルした。 新たに『Superman Lives』と題されたスミスの原案は、ブレイニアックがドゥームズデイを送り込んでスーパーマンを殺害し、さらにレックス・ルーサーとも手を組むが、スーパーマンはクリプトンからやって来たロボットのエラディケーターの手によって復活するという内容であった。スミスのキャスティング構想では、ベン・アフレックがクラーク・ケント(スーパーマン)役、リンダ・フィオレンティーノがロイス・レイン役、ジャック・ニコルソンがレックス・ルーサー役、ファムケ・ヤンセンがマーシー役、ジョン・マホーニーがペリー・ホワイト役、デヴィッド・ハイド・ピアースがエラディケーター役、ジェイソン・リーがブレイニアック役、ジェイソン・ミューズがジミー・オルセン役であった。 監督には、まずロバート・ロドリゲスがオファーされた。彼はスミスの脚本を気に入ったが、『パラサイト』を優先したため断った。スミスは当初より自身の脚本の監督にはティム・バートンを希望しており、バートンは500万ドルのペイ・オア・ペイ(完成しなくてもギャラを全額受け取れる)で契約を交わした。ワーナー・ブラザースは劇場公開日をスーパーマンの生誕60周年となる1998年夏に設定した。スーパーマン役としてバートンは、レイフ・ファインズを考えていたが、ピーターズは、ヒットの見込めるスターであるニコラス・ケイジと2000万ドルのペイ・オア・ペイ契約を交わした。コミックのマニアとしても知られるケイジは「キャラクターを新たに構築したい」と考えた。ピーターズはケイジには「彼(スーパーマン)が宇宙からやって来た存在であると観客に納得させる力がある」と感じていた。バートンも、ケイジのキャスティングについて「スーパーマンの正体がクラーク・ケントだとわからないという設定に説得力をもたせられる。彼は視覚的にキャラクターを変えることができるだろう」と考えた。他のキャスティングは、ケヴィン・スペイシーにはレックス・ルーサー役が、ティム・アレンにはブレイニアック役が交渉された。またブレイニアック役はジム・キャリーも考慮された。ロイス・レイン役の候補としてコートニー・コックスの名が報じられ、またケヴィン・スミスはクリス・ロックをジミー・オルセン役に推薦していることを明かした。さらに、ワンシーンのみ登場するバットマン役として、マイケル・キートンの出演が報じられたが、キートンはMTVのインタビューに「そうとは言えないね」とだけ答えた 視覚効果はインダストリアル・ライト&マジックに依頼された。 撮影は元々1998年初頭開始を予定していた。1997年6月、『Superman Lives』はプリプロダクションに入り、美術部門にはプロダクションデザイナーのリック・ハインリクスが雇われた。ところがバートンはウェズリー・ストリックを新たに脚本家として雇いれ、スミスの脚本をすべて書き直すことにした。これに関してスミスは「スタジオは私がしていたことに満足していた。なのにティム・バートンが関わってきて、契約を交わしたあとにいきなり方向転換して、自分のスーパーマンにしたいと言い出したんだ。そしたらワーナー・ブラザースはどっちを支持するんだ? (低予算映画の)『クラークス』を作った男と、『バットマン』で5億ドルを生み出した男とでだ」と不満を露わにした。ストリックはスミスの脚本を読んだ際、「スーパーマンにエラディケーターと呼ばれる何かが取り付いている」という事実に困惑していた。また彼は、プロットの一部が『ザ・シンプソンズ』のエピソード「誰がバーンズを撃ったか?(英語版)」にそっくりだと感じた。ストリックが書き直した脚本ではスーパーマンは実存主義者であり、自分のことを地球人からは疎外された存在であると考えていた。彼は一時的に超人的な力を失うが、サポートロボット「K」(声はジャック・ニコルソンが予定された)の協力によって復活し、ブレイニアックとレックス・ルーサーを破るという内容であった。 バートンは舞台となるメトロポリスの主要ロケ地にピッツバーグを選び、サウンド・ステージ(英語版)[要リンク修正]も予約したが、撮影開始日は延期された。惑星クリプトンのセットの一部が作られたが破棄され、ケイジの着る衣装のデザインも難航した。スタジオはまたタイトルを『Superman Lives』から『Superman Reborn』に戻す検討をした。このままではあまりにも費用がかかりすぎると判断したワーナー・ブラザースは、より実現可能な内容に書き換えるよう、脚本の書き直しをダン・ギルロイに依頼した。ギルロイにより制作費は1億9000万ドルから1億ドルまで引下げられた。しかしながらスタジオは財政的な理由のために早期の製作開始に消極的であり、ギルロイはさらに2つの草案を用意した。1998年4月、最終的にワーナー・ブラザースは映画を保留する道を選び、バートンは1年以上にわたる作業を放棄して降板することを決意した。この時点で3000万ドルが費やされていた。のちにバートンは『Superman Lives』での出来事を、ピーターズやスタジオとの意見の相違を引き合いに出して人生で最悪の経験の1つだと語っている。 1998年9月、映画製作が頓挫したことに失望した脚本家・コミックファンのアレックス・フォードは、『Superman: The Man of Steel』と題した脚本をスタジオ事務所に持ち込んだ。彼は全7章となる映画シリーズの企画を売り込み、最終的に創造性の違いで去ったものの、彼のアプローチはワーナー・ブラザースとピーターズに感銘を与えた。この出来事に関してフォードは「彼らはコミックについて多くを知らないと言えるだろう。彼らにとっての観客は7ドル支払って映画を見る君や私ではない。60ドル支払って玩具やランチボックスを買う両親たちなのだ。それがビジネスであるし、1億5000万ドルの興行収入と6億ドルのマーチャンダイジングはどちらが重要かな?」と語った。 ピーターズはギルロイの脚本を持ってラルフ・ゾンダグ(英語版)、マイケル・ベイ、シェーカル・カプール、マーティン・キャンベルらへ監督オファーをしたが、全員から断られた。ブレット・ラトナーもまた『天使のくれた時間』のためにオプション契約を断った。その後、サイモン・ウェストとスティーヴン・ノリントンが筆頭候補者となった。1996年6月、ウィリアム・ウィッシャー(英語版)が新たな脚本執筆のため雇われ、引き続き主演の予定だったニコラス・ケイジもストーリー創造に協力した。しかしケイジは2000年6月にプロジェクトから離脱し、2000年8月にウィッシャーは新しい脚本を提出した。報道によるとそれは『マトリックス』とよく似ていた。2000年10月、マンガ家のキース・ギフェン(英語版)は、ロボ(英語版)をメインヴィランとした17ページの原案を持ち込んだが採用されなかった。その後、オリバー・ストーンが新たな監督候補となったがほどなく決裂し、2001年4月、ポール・アタナシオが新たな脚本を完成させるために170万ドルで雇われた。ピーターズはスーパーマン役としてウィル・スミスへオファーしたが、スミスはアフリカ系の自分が演じるのは相応しくないだろうとして断った。
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