2012-2016
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:11 UTC 版)
「ローリング・ストーンズ」の記事における「2012-2016」の解説
ストーンズは2012年夏に結成50周年を祝って、ハードカバーの写真集「50」をリリースした。バンドの象徴的なイメージである唇のロゴも、シェパード・フェアリーによってデザインされた新しいバージョンが明らかにされ、祝賀会で使用された。ミックの弟、クリスは祝賀会に合わせてスロベニアのローリング・ストーンズ・ミュージアムでギグを行った。 ブレット・モーガン監督のドキュメンタリー 『クロスファイア・ハリケーン』は、2012年10月に公開された。約50時間におよぶインタビューが行われ、その中には元メンバーのビル・ワイマンやミック・テイラーへのものも含まれた。これは1988年に結成25周年を記念して作られた『25x5』以来のドキュメンタリーとなる。11月12日には新しいコンピレーション・アルバム『GRRR!』がリリースされた。このアルバムは4つの異なったフォーマットでリリースされ、新曲が2曲収められる。「Doom And Gloom 」「One Last Shot」の2曲はパリのウィリアム・テル・スタジオで8月の数週間で録音された。アルバムは世界中で200万枚以上の売り上げを記録した。ノオミ・ラパスをフィーチャーした「Doom and Gloom」のミュージックビデオは11月20日にリリースされた。 2012年11月、ストーンズはロンドンのO2アリーナで50 & カウンティング...ツアーを開始し、同日のステージにはジェフ・ベックが参加した。02での2日目のショーでは、エリック・クラプトンとフローレンス・ウェルチがステージに参加した。アメリカでのショーは12月8日にニューヨーク州ブルックリン区のバークレイズ・センターで始められた。2012年最後のショーは12月13日と15日にニュージャージー州ニューアークのプルデンシャル・センターで行われた。2日目のショーにはブルース・スプリングスティーンとザ・ブラック・キーズが加わった。彼らはまた、12月12日に行われたハリケーン・サンディのチャリティ・コンサート「12-12-12: A Concert For Sandy Relief」で2曲を演奏した。 ストーンズは2013年の春にアメリカで19回のショーを行った。その後イギリスに戻り、6月29日にはグラストンベリー・フェスティバルに出演した。7月にはハイド・パークでコンサートを行ったが、1969年のように無料ではなかった。そのセットリストは1969年と同じ曲が演奏された。7月6日と13日にハイド・パークで行われたコンサートはライブアルバム『ハイド・パーク・ライブ』として同月後半にiTunesから配信により独占リリースされた。ライブDVD『スウィート・サマー・サン』は11月11日にリリースされた。 2014年2月、バンドは中東、アジア、オーストラリア、ヨーロッパにまたがる14オン・ファイアー・ツアーを開始し、夏まで続く予定であった。3月17日、ミックの長年のパートナーであったローレン・スコットが突然死去し、その結果オープニングツアーの日程がキャンセルされ、10月に再スケジュールされた。6月4日、ローリング・ストーンズはイスラエルで初めてコンサートを行った。ハアレツ紙はコンサートを「大文字のHで歴史的」であると説明した。ミックは2015年のインタビューで、引退が頭に浮かぶかどうか尋ねられたとき、「いや、今は違う。次のツアーは何なのか考えている。僕は引退を考えていない。次のツアーを計画しているので、答えは本当に「いいえ、そうではありません」だ。」と述べた。 ストーンズは2016年2月にラテンアメリカ・ツアーを開始した。3月25日、バンドはキューバのハバナでの無料の野外コンサートを行い、推定50万人の観客が訪れた。その年の6月、ストーンズは『トータリー・ストリップド』をリリースした。これは『ストリップド』の拡張版であり、複数の形式でリリースされた。2016年3月25日にキューバで行われたコンサートは、『ハバナ・ムーン ストーンズ・ライヴ・イン・キューバ2016』として公開された。9月23日に世界中の1,000以上の劇場でプレミア公開が行われた。2016年のラテンアメリカ・ツアーのドキュメンタリー『オレ! オレ! オレ! ア・トリップ・アクロス・ラテン・アメリカ』は12月12日に映画館で一晩だけ上映された。その後2017年5月26日にDVDとBlu-rayで発売された。ストーンズはカリフォルニア州インディオで開催されたデザート・トリップ・フェスティバルに出演し、ボブ・ディランと同じ夜の10月7日と14日の2日で演奏した。 バンドは2016年12月2日に『ブルー&ロンサム』をリリースした。アルバムはハウリン・ウルフ、ジミー・リード、リトル・ウォルターらのブルース曲のカバー12曲から構成された。レコーディングは2015年12月にロンドンのブリティッシュ・グローブ・スタジオで行われ、2曲にエリック・クラプトンが参加した。アルバムはイギリスで1位を獲得し、その年のアルバムの発売週で売れた枚数として2番目に高かった。また、ビルボード200では4位となった。
※この「2012-2016」の解説は、「ローリング・ストーンズ」の解説の一部です。
「2012-2016」を含む「ローリング・ストーンズ」の記事については、「ローリング・ストーンズ」の概要を参照ください。
2012-2016
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 01:34 UTC 版)
戴資穎の父親は消防士であり、高雄市バドミントン連盟の会長だった。戴資穎は小学3年生の時にバドミントンをはじめた。2009年には15歳で国際大会に初出場し、ベトナム・オープンで準優勝した。同年7月には台湾バドミントン選手権でベスト8となっている。同じく7月にはマレーシアで開催されたアジアユースU19バドミントン選手権大会で準優勝した。同年12月には香港で開催された東アジア競技大会に出場し、銀メダル1個と銅メダル1個を獲得した。 2012年にはヨネックスオープンジャパンで優勝し、BWFスーパーシリーズの最年少優勝者となった。なお、2013年にはタイのラチャノック・インタノンが最年少記録を更新し、また同年には日本の山口茜にも抜かれている。2012年には台湾オープン(英語版)でも決勝でインドネシアのリンダウェニ・ファネトリを破って優勝した。 2013年の台湾オープン(英語版)では決勝で韓国の成池鉉に敗れた。同年のBWFスーパーシリーズファイナルズ(英語版)には第8シードとして出場し、準決勝では第1シードの中国の王適嫻を破ったが、決勝では中国の李雪芮に敗れた。 2014年アジア競技大会では3位となり、同大会で初めてメダルを獲得した台湾人バドミントン選手となった。同年の香港オープンでは決勝で日本の奥原希望を下して優勝した。同年のBWFスーパーシリーズファイナルズ(英語版)には第6シードとして出場し、準決勝ではインドのサイナ・ネワールを、決勝では韓国の成池鉉を下して初優勝した。 2015年のシンガポール・オープンでは第5シードとして出場し、第4シードの王儀涵などを下して決勝まで勝ち上がったが、決勝で中国の孫瑜に敗れた。同年のBWFスーパーシリーズでは優勝することができなかった。 2016年6月のインドネシア・オープンでは決勝で中国の王儀涵を下して優勝した。同年8月にブラジルのリオデジャネイロで開催された2016年リオデジャネイロオリンピックのバドミントン競技には第8シードとして出場したが、決勝トーナメント1回戦でインドのシンドゥ・プサルラに敗れた。
※この「2012-2016」の解説は、「戴資穎」の解説の一部です。
「2012-2016」を含む「戴資穎」の記事については、「戴資穎」の概要を参照ください。
- 2012 - 2016のページへのリンク